続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年11月15日(火):曇り) 帰宅

昨晩22時キール発のバスで、6時頃デュッセルドルフに到着しました。朝は場所を問わず寒いです。デュッセルなら快適なのではないかと思っていましたがそんなことはありません。

8時から授業がありますので、実はあまり時間に余裕がありません。慌ててWuppertal行きの電車を探し、7時頃には寮に帰ってくることができました。急いでシャワーを浴びて朝食を摂り、そのまま授業へ向かいました。バスの中でもそれなりに眠ることができたので、そこそこ元気です。

さすがに2コマ目は眠くなってきましたが、何とか最後まで受講できました。
最近、モロッコやチュニジアなど北アフリカ出身の学生たちとよく話しています。皆休み時間に喫煙するメンバーなので、勝手に喫煙サークルと呼んでいます。
モロッコの友人は既に30歳前後らしく、現在博士課程でいずれはドイツで教授になることを目指していると話してくれました。「自分の国には帰らないの?」と聞いてみたところ「もう30年近くモロッコに住んでいたんだから十分だよ。これからはドイツで生活したいと思うし、どうしても帰らなければいけないとは思っていない。」と答えてくれました。
祖国...というと若干物々しいですが、自分の出身国を「もう十分住んだ」という一言で出ていくことができるバイタリティがすごいです。まるで生まれ育った町を出ていくかのような感覚です。そんな考え方もあるのか!と感心してしまいました。むしろ、心のどこかで帰らなければいけないと思い込んでいる方が強迫観念に近いのかもしれません。もっと流動的に生きてもいいのかもしれない...と考えさせられてしまいました。

部屋に帰ると、友達からメッセージが来ていました。日本から荷物を送ってもらったもののDHLから配送されてこないというのです。しかも、DHLのwebサイトで確認したところ、「既に配送済み」などということにされてしまっています。そんなわけで、問い合わせの手助けをしてほしいということでした。
研究材料になるものを送ってもらったとのことで、可及的速やかに荷物を手に入れたいのだそうです。
(以下、繰り返し友達が~と書くのもアレですので、DHLから頭文字をとってDさんとします。)

前回留学時、私も同様の状況に陥ったことがありました。あの時は、二週間ほど待っても音沙汰がなかったため電話で問い合わせてみたところ、税関で荷物が止まっていたのでした。しかも、止められた理由が分からず、税関職員さんから「いやぁ運が悪かったね。時々こういうことがあるんだよね。」と対応の仕様がないコメントを投げかけられてしまいました。

おそらくDさんのケースも税関なのではなかろうかと、半ば諦めつつも電話をしてみることにしました。まず、DHLに電話をかけてみたのですが、よく分からないことを言われてしまいました。「この荷物はDHLではなく、DHL Expressの管轄だから私の方では対応できない。Expressに電話してくれ。」というのです。DHL傘下にExpressという会社が別枠で存在しているのでしょうか。てっきりDHLに電話すればすべてわかるものと思っていました。

というわけで、今度はDHL Expressに電話をかけてみました。すると、「荷物の追跡をしたところでは既に配達済みです」とwebサイトで確認したのと同じことを言われてしまいました。「いや、それがwebサイトではそうなっていますが届いていないんですよ。税関にあるのではないかと疑っているのですが、改めて確認していただけますか?」と食い下がってみたところ、「分かりました。ただ、税関までの輸送に関してはうちではなく、EMSの管轄です。EMSに問い合わせてから折り返します。」ということになりました。...なんだか怪しい雲行きです。まさかたらい回しにされてしまうとは。

それに、DHLが配送済みと言っているということは、荷物そのものはどこかでDHLの手に渡っているような気がします。EMSの方で何かわかるのでしょうか。いずれにしても、今は待つほかないという状態です。いっそ先回りして税関に赴いて問い合わせた方が早いような気さえしますが、どうしようもありません。

何だかすっきり解決できなくて悔しい気分です。Dさんにはいつもお世話になっていますし、乗りかかった舟ということで荷物が届くまでは共闘体制をとろうと思います。結局解決できなかったのにも関わらず、Dさんはお昼ご飯を作ってごちそうしてくれました。なんだか得した気分です。かえって申し訳ないような気もしますが、またいずれ恩返しをしたいと思います。

帰宅後は、キールで集めてきた資料の整理などをしていました。特に、Ostfriedhofの式典の録音データは早めにPCに入れてしまって聞ける状態にしておきました。暇なときに聞いて内容理解を深めておきたいところです。

昼寝などもしつつ、夕食時までの時間を過ごしていたところ、今度は別の友人から「プリンターを貸してほしい」との連絡がありました(以下、PrinterからとってPさんとします)。ちょうど晩御飯の肉じゃがを作っていたところなので、夕食会でも開こうと思い立ち、Dさんも改めて誘ってみました。お昼ご飯の恩返しを晩御飯でできればという気持ちもありました。

結局三人でささやかな夕食会と相成ったのですが、各々困っていることや愚痴がたまっており、結局深夜まで続く座談会となりました。最近はこの二人と話しているのが楽しすぎて、時間も体力も度外視してしまっています。お互い日本人なのだから、帰国した後でも会う機会はあるだろう!と言われてしまえばそれまでなのですが、私の中ではなんとなくこの半年で縁が切れてしまうのではないかというような気もしており、じっくり話せる今の時間を大切にしたいと思っています。