続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

2016年12月24日(土):晴れ Mさん一家との再会

今日は11時前に目を覚まし、Mさんの娘さん一家とともにMさんたちのところへ向かいます。

娘さん一家はカーシェアリングサービスを利用しており、スマートフォンで車の予約をしていました。ここでも私は勘違いをしていました。
行先はMさんのお宅だとばかり思っていたのですが、道中のGrobusという大型スーパーが目的地でした。そこの駐車場でMさんと、二年前に僕と遊んでくださった子供たちが待っていました。子供たちが私のことを覚えていてくれたことが嬉しかったのですが、相変わらず英語もドイツ語も中途半端で混乱していた私は彼らに対してややよそよそしく接してしまった気がします。彼らは二年の歳月を経て落ち着いた人間性を手に入れており、話す言葉や振る舞いが大人びてきていました。二年前は彼らの無邪気な振る舞いに驚かされると同時に、多くのことを考えさせられたのですが、今こうして落ち着いてしまった二人と対峙してみると寂しい気分になります。もちろん頼もしさも感じるのですが、気を遣われるよりも好き勝手に振る舞っている姿を見ている方が心地よかったのです。...とはいえ、気を遣わせている主体は確実に私なので、己の業というべきなのでしょう。彼らに気を遣わせなくて済むくらいに私もフレンドリーに接するスキルを身に着けているべきだったのです。彼らは二年でこうも成長したというのに私は一体何をしていたのか。

学部生から院生になり、研究は多少なりとも進んだかもしれません。とはいえ微々たる前進ですので、それについて誇るべきところは一切ないのです。しかし、人間性の成長についてこの二年を振り返ってみると、私は進歩どころか退行しているのではないかというような気がします。誇るどころか、恥の意識さえ覚えます。
前回のドイツ留学ではすべてが新鮮であり、ほんの些細な物事に対しても感動や驚きがありました。そして、それらの感情を人に伝えることに喜びを覚えていたのですが、今はそういった感受性は死に絶えつつあります。
前回は、ブログを書くのも日本の大学の国際交流課に報告書を送るのも私にとって楽しみな作業でした。それが今や半ば苦行と化しつつあります。特に、国際交流課への報告書は11月からさぼってしまっており、そろそろ見放される日も近いという状況なのです。そんな状況にありつつも何も書けないのは、私がこちらで吸収している知識や情報、スキルや経験に対する敏感さを失ってしまっているからだと思います。

二回目の留学とはいえ、今回初めて知ったことや身に着けたことが多々あるはずです。前回であれば、これらの物事は喜びとともに自覚的に自分のものになっていったのですが、今回は日々のささやかな出来事として無意識に消化されてしまっています。つまり、自分が今置かれているこの贅沢な学習環境を大事にすることができなくなりつつあるのです。

そして今、かつてクリスマスから年末にかけて一緒に過ごしてくれた子供たちと再会した私は、喜びを覚えるどころか居心地の悪さで満たされているのです。どうしてでしょうか。前回はコミュニケーションに壁があっても、四苦八苦しながら意思の疎通ができたことに心から喜びを覚えていたはずなのです。彼らのことも好きだったはずなのに、今はどう接して良いのかすらわかりません。単に人付き合いのスキルがないからなのでしょうか。とにかく自分の感情の動きのなさに嫌気がさしました。

Globusで買い物をしてからMさん宅へ行き、荷物をまとめて家族が集まる別の場所へと向かいました。そこではMさん一族が計13人も一堂に会し、クリスマスソングを歌ったりプレゼントを開けたり、二年前と同じく楽しそうに過ごしています。私はここでも居心地の悪さ以外を感じることができず、Mさんたちの賑やかさによってかえって寂しい気持ちになりました。お誘いを受けてよかったと思いますし、皆優しくしてくれるのですが、会がお開きになったときに心底安心したのです。私は恩知らずで非常識な人間です。Mさんの隣人愛精神によるのか何なのかわかりませんが、こうして家族のイベントに招いてもらいながらネガティブな感情しか芽生えないとは。

自分が日本人だということを強く認識させられました。こうしてドイツでドイツ流(といってもMさんのルーツはアメリカで、Mさん曰くアメリカ式クリスマスらしい)の人付き合いの輪の中に放り込まれてみても、何ら為すところがないのです。もしかしたら、これは努力によって克服できるコミュニケーションや文化の壁なのかもしれません。しかし、今の私にはこれを乗り越えて壁の向こう側へ行ってやる!というような気概はなく、壁のこちら側で穏やかに暮らした方が幸せなのではないかと感じています。

ドイツでさらに進学できないだろうか?こっちで就職できないだろうか?など、こちらに来てから色々可能性を考えてみました。ドイツの文化や歴史に興味があり、この国での生活が好きだったからです。しかし、おそらく私はなんだかんだ言いながらも日本にどっぷり浸かっており、少なくとも片足は日本に突っ込んだ状態でなければ生きていけないのではないかというような気がしてきました。こちらで何とか楽しく生きていられるのも、日本語で話せる友人がいて、彼らと遠慮なく愚痴や日々の問題について語り合うことができるからなのだと思います。つまり、私は精神的にも文化的にも自立できていないのです。日本人という自分の背景にある属性から自立しておらず、また同郷の友人という精神的支えなしにはまともに生きていくことすらままならないのです。もう少し自分は強い人間だと思っていました。が、クリスマスにMさんたちと再会したことで、己の弱さが露見しました。まさかクリスマスに招待を受けて、ここまで自己嫌悪を深めることになるとは。

二度の留学を通じて得た経験やスキルを活かして今後の身の処し方を考えたかったのですが、私は何か学びとることができているのかどうか不安になってきました。今回の留学は寂しさと不安に満ちています。大してやっていることは変わらないはずなのに。いっそ余計な観光や人付き合いはせずに、研究関連の施設と人にフォーカスすべきなのでしょうか。それなら自身の活動に対する自己肯定感も芽生えるのかもしれません。ただ、最近は自分のテーマと研究に対する自信も情熱も失われる一方で、なんだかうまくいっていません。これも自分に対する甘さなのでしょうけれど...。最近自分がおかしい気がする。大学院に入るまではもう少し積極性も前向きな思考もできたような気がするのですが...。思い出補正でしょうか。