続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年11月8日(火):曇り/雨) 研究レジュメを託す

今日も授業の日だったので8時前に起床。

講義そのものはさておき、本日は先生にVolkstrauertagについて聞いてみたうえで研究資料に目を通していただこうという目的もあって色々資料を用意していきました。

今日のドイツ語コースを担当してくださっている先生は前回留学時にもお世話になった方で、先日現在の研究についてお話ししたところ興味を示してくださいました。
授業終了後に早速お話しを伺いに行ってみたのですが、まずVolkstrauertagについては以下のようなコメントをいただきました。

「Volkstrauertagは、国民みんなで死者を弔う日というよりも、政府や何らかの団体が”国のために死んだ人たち”を讃える場に近い。
どちらかというと右寄り・保守層の人たちがこういったイベントを担っている傾向があるため、中にはやや危険なイベントもあるかもしれない。
それこそPegidaやAFDといった右寄りな活動が盛り上がりつつあるから、もしどこかに何かを見に行きたいなら安全そうなところを慎重に選ぶべき。
また、宗教的な方面から死者の弔いを行う日としては、それとは別にTotensonntagというものがある。
これはプロテスタントの祭日で、もう少し幅広い意味で死者の弔いを行う日になっている。
Volkstrauertagは、ドイツの文化とはいえるかもしれないけれども若い世代には根付いていない。
それこそ戦争を生き抜いた世代や、その付近の世代の人たちにとってしか大きな意味を持たないように思う。
政治的・思想的に国家に殉じた人たちを祀る日なのだから、国や州政府が関わっている正式行事はあるだろうけど、ドイツ国民全てにとっての追悼記念日というほどではない。」

なるほど。私はてっきり日本でいうところの8月15日ばりに記念日化されているものと思っていました。
しかし、敗戦の日であれば5月8日ですし、そもそもなぜ11月の第二週というよく分からない日にこの記念日が制定されているのかもよくわかりません。
てっきり何か宗教的祝日などが関係しているものかと考えていたのですが、先生の話によると宗教色が強いのはTotensonntag(死者の日曜日)というまた別の日のようです。
となると、Volkstrauertagは一体何なのでしょう。
現在はVolksbundという組織がこの記念日を支えている主要な団体らしいのですが、このVolksbundはかつてKriegsgraberfuersorgeという戦争墓地管理を旨とする団体だったようです。
いや、未だにその呼び名も通用しているのかもしれません。実はそのあたりのことはネットですらしっかり調べたことがないので、今知っている情報からはそれほど多く語ることができません。
ただ、Laboeの海軍顕彰碑でもこのVolkstrauertagが重要なイベントの日として位置づけられており、現ドイツ連邦海軍とシュレスヴィヒ-ホルシュタイン州知事などが記念碑を訪れて献花を行っています。
そのため、先生が説明してくださった通り政治的行事の日としては間違いなく今日も生きた記念日として存在しています。
やはり、直接どこかに出向いてみた方が良いような気がします。できることならキールに行きたいところですが、まだちょっと悩んでいます。
VISA申請のために重要な身分証も手元になく、軽々に遠出を計画できない状況です。

そのあたりの話しを伺ったのちに、以前ドイツ語での作成を試みていた研究レジュメを先生に見ていただきました。
「おそらく文法などは壊滅的に間違っているので、もし可能であればチェックしていただけませんか?」とお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。
「こういうテーマは今のドイツの状況を見ても興味深いと思う。ぜひ読んでみたい。」と好意的なコメントまでいただくことができました。
単なるご挨拶だとは思いますが、ちょっと嬉しかったです。

そんなわけで、木曜日までに添削をして資料を返していただけることになりました。ドイツ語の修正をしていただけるのもありがたいのですが、研究資料を現地の人に読んでいただくことができるというのが非常にありがたいです。

午後は必要な作業を終えてから図書館に籠っていたので、特筆して語ることのない普通な生活を送りました。