続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年10月15日(土):雨のち晴れ) 旧交を温める

今日は0830時頃起床、その後シャワーを浴びて活動を開始したのが0930時くらいだったでしょうか。

日々のノルマとしている読書を進め、11時過ぎにODEONを訪れました。

今日はブランチパーティとやらで、今期から新たに学生寮に住み始めた人たち向けに昼食会が開かれるということでした。
中に入ってみると、半ば立食形式のような形の集まりで、結構な賑わいを見せています。
パンやハム、チーズにコーヒーといったものが無料で提供されており、学生に優しいシステムでした。

私は、手近なテーブルにいた人たちと少し話していたのですが、またしてもうまく意思疎通ができず...。
ただ、一人キール出身の学生がいたことが私にとっては収穫でした。自分の研究について話してみたのですが、Marineehnrenmalという施設はキールの人にはさすがに知られているようです。

こちらに来てから施設の名前を言っても伝わらないことも何度かあったのですが、さすがに地元民ならば知らないということはないみたいですね。

ただ、驚いたというかちょっと焦ったのは「ああ、Marineehrenmalね。ラベーにあるやつでしょ?」と言われたことです。
記念碑が建っている地区は"Laboe"というのですが、私はずっと「ラーボエ」と呼称し、日本語で記述する際もそのように書いてしまっていました。ところが、彼の発音によるとどうやら"Labö"というような感じです。卒業研究にも外部発表資料にも「ラーボエ」と記述してしまいました。もはやこれはどうしようもないのですが、今更恥ずかしい思いです。
修士論文ではこちらの発音で記述しよう...。

ブランチパーティの後は部屋に帰って読書をしていました。
なんだかここ数日、多くの人とコミュニケーションをとるのに疲れました。
ついでに今日の夜も予定があったので、ちょっとゆっくりしたかったという気持ちもありました。

今日は、Jさんと19時に待ち合わせていたのです。先日偶然に久しぶりの再会を果たしたわけですが、ようやくじっくり話す時間がとれそうです。
せっかくなので、他の日本人学生さんたちにも声をかけ、何人かで会いに行くことにしていました。

Jさんは相変わらず気さくで面倒見の良い方でした。驚いたのは、Jさんに子供がいたことです。
どうも前回留学から帰った直後くらいに授かった子どもだったらしいのですが、会話の流れの中でナチュラルに「そういえば僕の息子に会ったことあったっけ?」などと言われたものだから驚いてしまったわけです。
Jさん以外にも以前仲良くなった友人が合流してきてくれたので、その人も一緒に飲み屋であれこれ話していました。
なんだか、昨日からドイツ語に自信がなくなっていたのに、Jさんやその人とは思うように会話ができました。
理由はわかりませんが、リラックスできました。

ところで、かつてよくJさんと訪れていた「レバノン」というバーはなくなってしまったそうです。
レバノンでは、初めて水タバコを吸ったり、Jさんを通じて様々な人たちと出会ったりと色々な経験がありました。
それに店主のおじさんが調子の良い、感じのいい人だったおかげで居心地が良かったことを覚えています。
そんなわけで、少し大げさに言えば"思い出の店"だったのですが、今や跡形もなくなっており新しいこざっぱりした店になっていました。
諸行無常です。

ただ、今日訪れた別の店で久しぶりに水タバコは吸いました。懐かしい味です。なんだかホッとしました。
Jさんに紙タバコを吸い始めたという話をしたところ、半笑いで「ああ、君も終わったな」というような反応をされました。
彼は水タバコ専門だったようです。ただ、非喫煙者ならば聞きたいことがありました。
ドイツの歩きタバコなどといったマナーについてです。
まず、日本では歩きタバコは固く戒められているがドイツでは全く問題ないのか尋ねたところ、禁煙エリアでないのなら歩きながらだろうが立ち止まっていようが喫煙はOKなのだそうです。
「歩きながらタバコを吸っていたら子供も副流煙を吸ってしまうのでは?」と尋ねたところ、「それは立ち止まってても一緒でしょ。」ということでした。
確かに。
ただ、「僕は喫煙者がいたらちょっと大回りで避けるけどね」とも言っていました。
それくらいの感じで受容している人もいるということですね。

そういえば、黒タバコのゴロワーズは普通のキオスクでは売っていないという情報も得ました。専門店などでしか扱われていないそうです。てっきりヨーロッパに来ればいくらでも手に入ると思ってほとんど持ってきていなかったのですが、そんなに珍しいものだったとは。

それ以外にも、私が日本に帰ってから町がどう変わったのか、自分が帰国後何をしていたのか、現在の研究テーマについてだとか色々と話すことができました。

私が海軍記念碑を研究テーマに選んだ動機は、「ドイツでは「過去の克服」を政府が主導して強力に進めてきたのにも関わらず、第三帝国時代の兵士が顕彰されているのが不思議に感じたから」だったのですが、これを説明したところ「兵士は命令に従って国のために戦ったというか戦わされた人たちなのであって、別にそれを顕彰すること自体は変だとは思わないけどな」という反応でした。
それはその通りなのですが、敗戦国でそれを行うのは簡単にはいきません。
政治的な対立点を作らず、かつ諸外国に対して面目を立てつつそれを行うのは非常に繊細で緊張感をはらんだ行為です。そのあたりを海軍顕彰碑はうまくクリアしているようで、それについて卒業研究では扱いました。
ですが、彼の反応を見ると、案外自然な形で「兵士の顕彰」という行為は受け入れられているのかもしれません。
もちろん、彼一人の意見をして「ドイツ人の意見」ということはできませんが、なんだか印象的でした。

結局、他の日本人学生さんたちと寮に帰ってきたら1時を回っていました。
ちょっと夜遊びが過ぎたかもしれませんが、久々の再会を楽しむことができました。
実のところまだ話し足りないくらいでしたが、また改めて会おうと思います。