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続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

2016年12月17日(土):晴れ FürstenfeldbruckとMünchen

文化 旅行 研究

8時過ぎにミュンヘンに到着。今回はバス内でそこそこ快適に眠ることができました。

駅まで歩いていき、エリア切符の情報やロッカーの位置を把握したうえで、Burgerkingへ行きました。
そこでトイレを使わせてもらったり食事をしたうえで私はFürstenfeldbruckへ移動することにしました。
ドイツ連邦軍の空軍顕彰碑を見に行くのです。

Fürstenfeldbruck(以下FFB)へはミュンヘンから電車で30分ほどでした。乗り換えはありません。
郊外の田舎町で、駅周辺は自然豊かではありますが殺風景ともいえるような雰囲気です。
ここからバスで、さらに町のはずれに向かいます。Fliegerhorstというバス停だったと思いますが、ここまでもバスの乗り換えは必要なく一本で行くことができます。バスの路線の終点に位置しているため、15分くらい乗っていたように思います。

Fliegerhorstはドイツ連邦軍の空軍基地がある場所で、それ以外には特に目立った建物などはありません。
停留所の目の前が基地の入り口です。ここから5~10分ほど歩いたところに、目的の顕彰碑があります。
まったくもって観光地でも何でもない地域ですので、顕彰碑以外には立ち寄ることができる場所もありません。

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▲空軍基地の門その1

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▲空軍基地の門その2

目的地に近づくにつれ、人気がどんどん少なくなっていきます。
辺りには民家や畑が見受けられますが、あまり賑やかなところではありません。

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▲こんな感じです

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▲こちらが空軍顕彰碑の入り口です。

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▲人っ子一人いないものの、立ち入り可能時間帯ですので勝手に門を開けて入ってok...なはずです。

これまで見てきた海軍顕彰碑と陸軍顕彰碑はどちらも観光地化が進められていました。
前者はUボート技術博物館などが併設されており、ホテルや売店も近くに立ち並んでいるため気楽に遊びに行くことができました。
後者はEhrenbreitsteinというかつての要塞跡地の内部に存在しているのですが、要塞施設そのものが観光地化されていて博物館やカフェ、お土産ショップなどによって彩られています。
そのため、顕彰碑だけを見て帰らなければならないということはなかったのです。

ところが今回はどうでしょう。
ここには本当に顕彰碑そのものしかありません。ついでに門が閉められていて、自分で開けて入る形式になっているためやや所見の人間には敷居が高いです。
遠巻きに見たときには立ち入り禁止なのではないかと思ってしまったほどです。また、立地や併設施設が存在しないことからか人もほとんどいません。
私が訪れたのは土曜の昼前という時間帯だったのですが、文字通り誰もいませんでした。これまで見てきた顕彰碑は観光地のランドマーク的なものだったのですが、今回はどちらかというと墓地のような風情があります。

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▲全景。

遠巻きに見てみると古墳のようにも見えます。
施設までは砂利が敷き詰められているため、神社の境内を歩いているかのような気分になりました。
施設正面には碑文が刻まれています。

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▲「君たちが忘れ去られることはない」

ここを迂回して奥の古墳のようなところへ入っていくと、大きく鉄十字が掘られた石が中央に設置されていました。
鉄十字は真上を向いているため、空からでないときれいにみることはできません。頑張って写真を撮ってみましたが、なんとなく雰囲気は伝わるでしょうか。

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▲鉄十字の中央には何かの葉があしらわれています。

これまであちこちの記念碑を見てきたところ、大抵の場所に国民哀悼の日の花輪が掲げられていました。今回もどこかにあるのではないかと期待したのですが、どうも見当たりません。ここでは儀式が行われていなかったのでしょうか。あるいはもう片付けられてしまったのか。

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▲施設内側から入口に向けて視線を向けるとこんな感じです。

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▲斜めから全体を撮影しました。なんとなく全体の雰囲気は伝わるでしょうか。

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▲「寄付により設立 1961-1965年」。こちらは入口脇に掲げられていた銘板です。

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▲横には設立者にまつわる銅板が飾られています。

一通りじっくり眺めてから帰ることにしましたが、本当に殺風景でだだっ広いところです。そんな広いところに一人で来ていたために孤独感が増幅されてしまい、もの寂しささえ覚えました。どこかでこの記念碑にまつわる本か何かを手に入れられないものかと思っていたのですが、どうも付近には何もなさそうです。

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▲空軍基地の門の前に、ミュンヘンオリンピックで暗殺された方たちの記念碑がありました。

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▲もし万が一この街のこの地区を訪れる方がいらっしゃるようであれば、ぜひこちらもチェックしてみてください。

さて、続いてバスで中央街の方へと出てみました。

小さな町ではありますが、街並みはきれいでクリスマスマーケットもそれなりに賑わっています。空軍顕彰碑がFFBに存在するのは、この町に空軍の訓練学校があるかららしいのです。連邦軍のwebサイトをちらっと見ただけですのでまだ詳しいことは分かっていませんが、現地を訪れてみて訓練学校と町のつながりを少しだけ感じることができました。クリスマスマーケットに空軍の学生が出店しているコーナーがあったのです。スープのようなものを提供しており、なかなか美味でした。

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▲空軍士官学校の出店

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▲スープ。どろっとした感じでお腹にたまりました。

近場の本屋をめぐってみたのですが、FFBの地域史に関する本すら見つけることができません。
現地を訪れたという以外の収穫はゼロですが、そのまま帰るしかないか...と諦めつつも、帰りがけにツーリストインフォメーションを見つけたためそこに立ち寄ってみました。
町の観光スポットを紹介した冊子(無料)をそこで手に入れたのですが、そこにほんの少しだけ顕彰碑について記述がありました。
といってもその記述は別に大したものではなく、「詳しくはLuftwaffe(空軍)のwebページを見ろ」と無慈悲に書かれています。

こちらに来れば日本では見つからないような本や資料が各町で手に入るのではないかと甘い期待をしていたのですが、どうもweb上で見つけることができる情報の方が質が高い場合もあるようです。
陸軍顕彰碑を訪れた際も、現地で手に入れた小冊子よりも記念碑を管理している団体のwebサイトの情報量の方が勝っていたため、なんだかがっかりした覚えがあります。
そういう点では、資料を見つけることよりも実際に現地を見て、雰囲気を味わい、あれこれ考えたり感じ取ったりすることの方に価値があると思うべきなのでしょう。自分で見てみた印象というものは自分だけのものですし、ウィキペディアで読んだだけでは味わうことができないものを得られるような気がします。

さて、FFBでの用事はこれで終わりました。既に14時過ぎだったかと思いますが、この頃には早くミュンヘンに戻って何か食べたいという気分に支配されていました。
といってもありふれたものは食べたくないので、白ソーセージかクリスマスマーケットの何かにしようと心に決めていました。
それにしてもFFBは田舎だった。人っ子一人いないということはありませんでしたが、妙な孤独感がある街でした。

ミュンヘン駅をうろうろしていたところタバコ屋さんを見つけたのですが、ドイツで初めて黒タバコのゴロワーズを見つけました。
この旅行中はたばこを吸わないようにしようと思ってライターもたばこも一切持ってきていなかったのですがここで買ってしまいました。

続いてホテルにチェックインして荷物を置き、そこから出かけることにしました。ミュンヘンは街並みがきれいで、歩いているだけでもそこそこ楽しむことができます。
そうそう、先週Stuttgartを案内してくれたYさんと今日はミュンヘンで会うことになっていたのでした。YさんはStuttgartのダイムラーで働きながらミュンヘン大学で勉強するという二足の草鞋の生活をしています。連絡してみたところ、Mrienplatzにいるということでしたので、クリスマスマーケットがてらそこへ向かいました。

この時期のミュンヘンは初めてだったのですが、とんでもないカオスです。
凄まじい人混みで、商店街を歩くのはそれだけで苦痛を伴う行為です。

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▲ひどい!

なんとかしてMarienplatzにたどりつき、合流することができました。クリスマスマーケットはそこら中にあるのですが、変わったところに案内してくれるということで少し歩くことになりました。

道中dallmayrというコーヒーショップに寄りました。ドイツでは超がつくほど有名らしく、特にミュンヘンの本店はテレビCMの影響で誰もが知っているのだそうです。私はいつもネスカフェの安いインスタントコーヒーで満足していたのですが、お土産ということで一缶買ってみました。

その後地下鉄で数駅移動し、噂のクリスマスマーケットに連れてきてもらいました。工場のような場所だったのですが、どうも話を聞いたところかつては豚の屠殺場だったところなのだそうです。そんなバイオレンスなところなのに、マーケットの名前は「Märchen markt」。全く童話も何も関係ありません。

マーケット内はモンゴルのゲルのようなテントがあちこちに立っており、その中で音楽が演奏されていたりします。また、コンテナのようなものがあちこちに転がっており、ギャングのアジトのような雰囲気もあります。これは絶対に一人では来ることができなかったと思います。不思議な体験でした。

マーケットを一回りしてからもまだ時間があったため、Yさんが大学を見せてくれるという話になりました。ミュンヘン大学といえばゾフィー・ショルの記念碑があったはず!と思い、Yさんに聞いてみたのですが見たことがないという話でした。が、ありそうな場所はわかるし、地名にもGeschwister Scholl Platzという名がつけられているということで、そのあたりまで連れて行ってくれることになりました。

ミュンヘン大学の建物は古風で大きく、威厳があります。
入ってすぐのところにホールのようなエリアがあるのですが、その一角にありました。

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▲白バラの碑だそうです。

しかも、ちょうど今日まで大学構内で白バラ運動関連の展示が行われているというではありませんか。展示は大学の一角にパネルが置かれていて、誰でも自由に見ることができる形にされていたため、夜でもおかまいなく見学できました。
肝心のゾフィーショルが作ったビラの資料がないじゃないかとYさんと一緒になって探していたのですが、結局見つかりませんでした。活動の中心メンバーの略歴と、どういう形で処刑されたかというような話が紹介されていたのみのようです。

その後はミュンヘン大学のUni-KneipでYさんとYさんの交際相手と三人であれこれ話をしていました。最近観光ばかりしていたために、こうしてじっくり人と話す楽しみを忘れつつありました。数時間のおしゃべりが心から楽しかったです。

日独の文化の違いや、人柄や人付き合いの仕方のくせなどあれこれ聞いてみました。ドイツ文化については、「Loriot」というコメディ番組を勧められました。
ドイツ版モンティパイソンのような、ちょっと古めのシリーズらしいのですが、ドイツの文化や人柄をうまいこと茶化しているシリーズなのだそうです。
「もしこれを見てしっかり面白さを理解できたら、かなりドイツ文化に通じているということになると思うよ」とのことでした。なんだか敷居が高そうですが、文化学習にはなりそうです。

これまでドイツ人にドイツについてじっくり話を聞く機会が案外少なかったように思います。ドイツ語コースであちこちの国の人たちと話こそしましたが、意外にドイツ人と知り合うのは難しいのです。
将来どうするのかという話などもしていたのですが、Yさんたちからは「せっかくドイツでの生活経験もそれなりにあるのだからこっちで働くか、日本に支社があるドイツ企業を探してみたら?」というような話をされました。Yさんはダイムラーベンツで働いているのですが、かつては日本の支社と頻繁に連絡をする部署にいたそうです。その際に、日本側の連絡窓口とのコミュニケーションをうまくとることができずに苦労した経験があるという話をしてくれました。まず語学的な壁が第一にあって、英語が通じなくて困ってしまったそうなのですが、それにも増して嫌気がさしたのはYESともNOともつかない曖昧な対応だったようです。現在Yさんはどういうわけか日本語に興味を持っており、日本語もそれなりに話すことができています。しかし、当時は語学的興味もなかったばかりか、仕事にとって障害になるような対応の悪さに「もう日本の窓口と対応する仕事はしたくない」と職場で相談したのだそうです。
そんな経験があったことから、国外での生活経験があり、またこちらの人たちの会話スタイルやコミュニケーションの癖を分かっている人材が絶対に日本でも重宝されるに違いない!というのがYさんの主張だったわけです。Yさんの個別の経験は確かに貴重な話ではあるのですが、実際のところどうなのでしょう。留学経験をどうやって売りにして生きていくべきか、まだ私にはなんともいえません。しかし、就職活動をするならばせっかくの語学スキルも生かしたいとは思っていますし、Yさんの助言が魅力的に感じられました。

話し込んでいたところすっかり深夜になってしまいました。Yさんたちと別れたのち、ホテルに帰ったら既に0時を回っていました。明日起きられるかしら...。

 

2016年12月16日(金) クリスマスパーティ

文化 生活事情

今日はドイツ語コース履修者のための、クラスぶち抜きパーティの日でした。

昨日の授業で友達と話していた際に、「日本人が食事するときに使ってる棒を使ってみたい」というリクエストがあったので、昨晩作った肉じゃがと、箸を持って行きました。
教室についた時には既にパーティが始まっていたようで、部屋は人で埋め尽くされており、テーブルの上も皆が持ち寄った料理が所狭しと並べられています。

とりあえずはB1コースの友人たちと合流して色々料理を紹介してもらいました。エチオピアの友達が持ってきてくれた料理とトルコの友達が持ってきてくれたお菓子のようなものがおいしかったです。中国の友人たちは炒飯を作ってきていました。お米料理もホッとする味でいいですね。

肉じゃがを友人たちに紹介したところ、エチオピアの友人が「これに似たものが僕の国にもある」というようなことを言っていました。純和食だと思っていましたが、以外にもインターナショナルな料理だったのでしょうか。当然、調味料や調理法は異なっているのだとは思いますが、彼曰く非常に似ているのだそうです。懐かしい味だとまで言っていました。醤油の味付けがどう受け取られるのか不安でしたが、おおむね好評だったので安心しました。お世辞かもしれませんけれど。

そうそう、箸の使い方を喫煙サークルの皆に教えていたのですが、エチオピアの彼は案外うまいこと使いこなしていました。思うように動かせずもどかしい様子ではありましたが、何とかなっていました。もはや記憶の片隅にもありませんが、私はいつ頃箸をまともに使えるようになったのだったかとしみじみしてしまいました。幼少期に教えられたのだと思うのですが、よく思い出せません。

A2にいる日本人の友人と、彼を通じて知り合ったトルコのMくんやロシアの友人たちとも久々に話をすることができました。実のところ、パーティなんて面倒だなぁと家を出るまで頭の片隅で思っていたのですが、いざこうして色々な人と会って話をしてしまうと、パーティっていいものだなぁとあっさりと心変わりをしてしまう私です。何より、基本的に自分と同じクラスの人たち以外とは知り合う機会が少ないため、新鮮さがあって良かったです。また、同じクラスの人であっても普段あまり話さない人たちとも会話する機会を得ることができました。それもまたこういう機会ならではかもしれません。

お昼頃にパーティが終わりました。中にはクリスマス休暇中に自分の国へ帰る人たちもいたため、一通り別れを惜しんで解散と相成りました。

私は家に帰ってからはこの週末の旅行計画を立てて一日のほとんどを終えました。
先週Stuttgardを案内してくれたYさんたちから、今週ミュンヘンで会おうと誘われていたのです。とりあえずミュンヘン行のバスを予約していたものの、それ以外には何も用意していませんでした。慌てて宿と帰りのバス、それに現地で訪れたい場所のリストアップをしていたというわけです。

ミュンヘンの近くにはFürstenfeldbruckという小さな町があります。ここには、Luftwaffe(ドイツ空軍)の顕彰碑があるということで、この滞在中に一度訪れておかねばならない場所です。ちょうどよい機会なので、この週末にそこにも訪れてみる予定です。ミュンヘンには各種記念碑があふれており、またクリスマスマーケットも大規模に行われているとのことですので、そのあたりを巡っていればあっという間に一日は終わるでしょう。
日曜日は半日ミュンヘンを観光した後でニュルンベルクに移動することにしました。ニュルンベルクでは戦後の裁判関連の博物館を訪れ、あとはドイツ有数のクリスマスマーケットを見に行くつもりです。帰りのバスはニュルンベルクからとったので、往路よりは移動時間も短くて済みます。

と、いった具合に大まかな予定を立てていたところで家を出る時間になってしまいました。
今晩のバスでミュンヘンへ向かいます。約10時間のバス移動になります。やや気が滅入るのですが、運賃が安い上に朝から観光できるという利点があるため、深夜バスばかり使ってしまっています。前回とは旅行の仕方がだいぶ変わりました。これもあれこれ情報を仕入れてきてくれた友人のおかげです。

2016年12月15日(木) クリスマス授業

文化 生活事情 研究

今日は朝の授業でプレゼント交換会を行い、またクリスマスソングを皆で歌うという不思議な形で一日が始まりました。

プレゼント交換という仕組みを考えた人はなかなか天才的だと思います。これだけシンプルでわくわくするイベントはそうそうありません。プレゼントを開けるまでの期待感と恐怖はほどよいスリルです。

クリスマスソングは、ドイツで有名なものを数曲教えてもらいました。「Oh Tannnenbaum」や「Stille Nacht」は日本でもおなじみで、大して真新しさもありませんが、全く聞いたことがない曲もそこそこありました。
Stille Nachtは、「戦場のアリア」という映画を見てから、私の中でクリスマス休戦のイメージソングになってしまっています。

1コマはそんな感じだったのですが、2コマと3コマはまさかの通常授業でした。最初の1コマですっかり気が抜けてしまっており、ほぼ全く集中できないというありさまでした。

授業後は友人からEssenに遊びに行こうと誘われており、最近毎週恒例行事と化しつつあるクリスマスマーケット巡りをすることになりました。

Essenは一度しかいったことがなかったので、まだまだ新鮮味があります。特に中央駅近辺はほとんど出歩いたことがありません。

ところで、いつも利用しているWuppertal-Steinbeck駅にも記念碑を見つけました。見慣れてしまって風景と化していたのですが、近づいてみたらユダヤ人移送にまつわる碑でした。

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▲面その1。

「Wuppertal-Steinbeck駅から1941年・1942年にかけて1000人以上のユダヤ人市民が移送され、それによって死を迎えた」

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▲面その2。「犠牲者の追悼のために。」

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▲面その3。「IZBICA / LITZMANNSTADT / MINSK / RIGA / THERESIENSTADT」移送先の地名です。

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▲面その4。「生きているものに警告するために」

これはMahnmal(警告碑)と言ってよいのかもしれません。

前回ニュルンベルクのナチドキュメントセンターに行った際に、DB(Deutsch Bahn)が送った碑が飾られていました。ドイツ鉄道がかつての強制移送に協力したということから、企業としてこうした記憶を残しているということだったと思います。この駅の碑も同様の理念で作られたものなのではないかと思いました。

 

さて、話をEssenに戻しましょう。最初はGelsenkirchen地区を見に行ったのですが、このあたりのマーケットはまぁ寂しいもので、とりたてて面白いものもありません。Primarkのセールで激安セーターが手に入ったのが収穫でしょうか。せいぜいその程度です。

が、中央駅近辺は"International Markt"と称されており、他の町にはないような他国の料理を提供している店や、変わったお菓子などを扱っている店が並んでいました。もうクリスマスマーケットは大体パターンが分かってきたつもりだったのですが、これは面白いということでのんびり見ていくことにしました。

店以外に目についたのはストリートミュージシャンです。
スコットランドの民族衣装を着こんでバグパイプを演奏している方がおり、それに驚かされました。バグパイプを生で聞いたのは初めてだったので、ささやかな感動を味わうことができました。

クリスマスマーケットはうんざりするぐらい広範囲で行われていたので、適度なところで切り上げて帰ることにしました。

帰宅後は、木曜恒例のKneipへ行きたかったのですが一つ片付けなければならないことがありました。明日の朝ドイツ語コースで料理を持ち寄ってクリスマスパーティをするということになっていたため、何か和食を作らなければならなかったのです。困ったときの肉じゃがということで、慌てて調理を勧めました。先日カレーのためにかった大鍋が早速役に立ち、自分の夕食分、明日のとりわけ分を除いてもまだ有り余る量が出来上がりました。

実は、今日のKneipは今年最後の集まりです。よく遊んでくれているポーランドの彼が実家に帰る前に一度家に招いて和食を振る舞う約束をしていたので、今日それを済ませてしまう予定でした。
Kneipに行くのがだいぶ遅くなりましたが、彼を連れてくることができたのでとりあえずは目的達成です。ついでに彼がいつもちょっかいを出している他の日本人たちもついてきたため、ちょっとしたパーティになってしまいましたが、ワイワイできて楽しかったです。

これで彼への義理も果たしたし、憂いなくクリスマス休暇に入れるような気がします。

2016年12月14日(水):曇り Wuppertalの戦争記念碑巡り

文化 旅行 研究

今日は授業がない水曜日ということで、午前中はダラダラ過ごしていました。午後は、以前お宅に招待してくれたKさんのお誘いで、Wuppertal内の戦争記念碑を訪ねることになっていました。

14時頃にKさんのお宅に伺い、そこから車で目的地まで連れて行っていただきました。

最初に訪れたのはJunkersbeckというところです。

Wuppertal郊外の、村のようなところに位置していたため、記念碑を見つけることができずに迷子になってしまいました。近くの家でそれについて尋ねてみたところ、そこにお住まいの方もよく知らないとのことでした(親戚のところを訪ねてきていたとかで、ここに長く住んでいるわけではなかったのだそうで)。
近くの丘...というか森のようなところに車では通ることができないような細い小道があったのですが、Kさんとどうもそこが怪しいという話になり、車を降りて歩いて行ってみました。

すると、高さ2~3メートルほどの大きな十字架と兵士の像が立っているではありませんか。どうやらここで正解だったようです。
記念碑にはアルファベット順に戦没者の名が刻まれています。第一次、および第二次どちらの戦没者もここで記憶されているとのことなのですが、アルファベットソートのため誰がどちらの大戦で亡くなったのかということはパッと見ただけではわかりません。

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▲兵士の像 側面には戦没者の名前が刻まれています

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▲このような形で、アルファベット順に名前が刻まれています

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▲ここで追悼対象とされているのは、第一次・二次双方の大戦の戦没者です。誰がどちらの大戦で亡くなったのかということはアルファベットソートのため判別がつきません。

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▲「両世界大戦の戦没者と犠牲者の栄誉に満ちた追悼のために」

ここでもEhreが出てきます。

また、記念碑自体はそこそこ大きなものなのですが、周囲の木立が邪魔して、少し離れただけでも見えなくなってしまいます。あえて目立たないように建てたのかと思ってしまうほどにひっそりとしたところです。

Kさんもこの記念碑を訪れたのは初めてだったそうなのですが、芸術関係の仕事をしていたKさんの最初のコメントは「この記念碑はあんまり芸術的じゃないなぁ」という辛辣なものでした。しかし、その発言には納得せざるを得ないものがあります。兵士の立像というモチーフで戦没者追悼を語られても雰囲気がないというものです。それどころか、やや好戦的な気配すら感じてしまいます。コブレンツの陸軍顕彰碑は、倒れた兵士の像でした。そのような形で露骨に"死"をにおわせてくれた方が戦没者を記念する場所にふさわしい厳粛さが演出されるというものです。もう少し何とかならなかったのでしょうか。

記念碑の麓には国民哀悼の日に捧げられたと思しき花輪が並んでおり、この記念碑が今もまだ生きた状態にあるのだということが見て取れました。

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▲Wuppertal市の花輪。これ以外にはVolksbundやVdKのものがありました。VdKは戦争で被害を受けた方たちの団体らしいです。

国民哀悼の日はキールで過ごしていたため、それ以外の地域で花輪を見るのは実はこれが初めてです。Volksbundの花輪があるのは当然として、Wuppertal市や該当地区の名前が入った花輪が並んでいるのはどことなく新鮮味がありました。Wuppertalのような小さな町でも、行政としては国民哀悼の日にしっかりと参画しているということなのでしょう。おそらくドイツ全土の市町村がこうした花輪を地域の記念碑に捧げているものと思われます。

一通り写真を撮り、碑文を読んだところでここを去ることにしました。ちょうど先ほど尋ねたお宅の方が犬の散歩で近くを通りかかっており、Kさんが声をかけてお礼を言っていました。犬の散歩で訪れられる範囲の距離に立っている記念碑でありながら、こうも知られていないというのは面白い話です。既に景色の一部と化してしまっていて意識的に見ようとしていなかったからなのか、本当に目立たないことから知られていなかったのかわかりませんが、こうした場所ですらしっかりと聖別されているのです。

続いて、また少し離れた地区にある記念碑を訪れました。ここにはKさんと同じ苗字の方の名前が刻まれているそうで、どうも親戚関係にある方が戦死したということらしいのです。Kさんはやや珍し苗字の方なので、その名前を見たときにすぐにピンと来たのだとおっしゃっていました。

こちらの記念碑は、3~4メートルの石柱の上に鉄十字をかたどった碑が乗せられており、先ほどのものよりはスタイリッシュなデザインです。Kさんに「こっちの方が芸術的ですね」と言ってみたところ、「まあ人型の像は難しいからね」とのことでした。そういう視点もあるのか。

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▲全景。先ほどより堂々とした記念碑です。哀悼の日に捧げられたであろう花輪が整然と掲げられています。

こちらは刻まれている戦没者が各大戦ごとに分けられており、また市民の死傷者についても名前が刻まれていました。つまり、戦没将兵の追悼・顕彰碑ではなく、この地域で戦争によって亡くなった方たちすべてを祀っているということのようです。鉄十字を見てすぐに軍関係だと思ってしまったのですが、早計だったようです。

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▲鉄十字の中にも年代が刻まれていました

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▲戦災で亡くなった市民のリスト

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▲Kameradenverein、つまり戦友会の花輪です。他には消防団、教会などの花輪が掲げられていたのが特徴的でした。先ほどの記念碑よりもこちらの方が多くの団体から支援されているようです。おそらく式典もそれなりに盛大になされたのではないでしょうか。

駐車違反エリアに車を停めてしまっていたため、ささっと見学して車に戻りました。Kさんは続いて自分の実家がある地域を紹介しつつ、自分の銀杏関連の展示品が飾られているという町のインフォメーションセンターに連れて行ってくれました。が、まだ営業時間中のはずにも関わらず扉が閉まっています。近くに鍵を持っている人が住んでいるということで、古本屋に連れていかれたのですが、どうもそこにも鍵はなかったようでした。私は、バルト海からの救出作戦関連の本やら、ドイツ基本法が書かれた小冊子などを見つけて勝手に楽しんでいたのですが、Kさんはちょっとがっかりしていました。
インフォメーションセンターの営業はボランティアに委ねられているらしいのですが、今日は担当者が体調不良で来られなかったのだそうです。ちなみに、Kさんも毎週木曜日にここで働いているとのことです。仕事をリタイヤした後でもこういった形で社会とのつながりを保っているというのは中々大変そうでもありますが楽しそうでもあります。

結局どうしようもないのでKさん宅まで帰ることにしました。お宅で軽食をごちそうになったのですが、その後ほかの友達と飲み会をするから一緒に来ないかと誘ってくださいました。同道させていただいたところ、作家に画家、音楽家など、芸術家の集団のような方たちと同席することになり、若干緊張してしまいました。皆すでに80を超えたくらいのお年を召した方たちばかりで、あまりの元気さに驚かされてしまいました。Kさんは今日の話と併せて私の研究についてあれこれ話す機会を与えてくださったため、いろいろお話しさせていただく機会を得られました。しかし、自分でも今迷子になっているように感じているところですので、うまく伝えることもできずにもどかしい思いをしました。

結局21時過ぎに抜けさせていただいたのですが、充実した一日でした。

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▲道中見つけた「躓きの石」(Stolpersteine)

2016年12月13日(火) カレー会

生活事情

今日でまじめなドイツ語の授業は最後です。

今週の木曜と金曜は、クリスマスイベントを兼ねた会の予定らしいので、おそらく半分は交流会のようなものになるはずです。

本日のメインコンテンツはカレー会でした。以前デュッセルドルフを訪れた際にカレーのルーを購入していたので、それを使ってパーティをしました。

最近自分の部屋に人を招くことが多いので、ちょっと大きめの鍋を1ユーロショップのTediで購入しました。これで4~5人分の料理を作るのも容易になりました。

久々のカレーでしたが、若干の物足りなさを覚えました。こっちではケバブやなどで変わったスパイスが聞いた料理を食べる機会も多いので、カレーのルーの味だけではやや淡泊に感じてしまったのかなと思います。

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2012年12月12日(月):曇り テスト

生活事情 研究

今日は先日のドイツ語のテストが返却された上に、改めてここ二週間分のまとめテストがありました。

まず前回分のテストですが、出来が悪いと思っていた文法問題がちょうど半分しか点数を取れておらず、またそこそこ手ごたえがあった読解問題に関しても6割程度しかできていませんでした。

周りの友人たちに話を聞いた感じですと、皆あまり出来が良くなかったようですので、いわゆる平均点が低めの難しいテストだったのかもしれません。

ただ、本番のテストは文法はともかくテキストの難易度はこれより上だとのことですので、やや先行き怪しい雰囲気があります。

とはいえ、今回は何が原因で減点されているのかといった点を把握できました。前回留学時はわけもわからずひたすらテストを受けていましたので、こうして冷静に振り返ることができているのは一つ成長した点といえるかもしれません。この程度で喜ぶ気にはなれませんが。

まとめテストについてはかなり手ごたえがありましたが、これもまた手元に返ってきてみないと何とも言えないでしょう。

既に累計一年以上留学しているのだから、未だに語学で手間取っているのは何とも恥ずかしい限りです。といっても、研究資料を作ってみても笑われてしまうほどにまだまだミスが多いということが先週のタンデムで明らかになりましたので、この授業も真摯に打ち込むべきなのは間違いありません。

今週末でドイツ語授業は一区切りです。ここから半月ほど冬期休暇に入るため、友人たちは実家に帰ったりあちこち旅行へ行ったりするそうです。

私はこの休暇中にミュンヘン近郊の空軍顕彰碑と、ドレスデン連邦軍博物館を訪れておきたいと思います。
まだ修論の落としどころの見通しが立っていないのですが、どうも海軍顕彰碑について調べ続けるのも飽きてきてしまいました。陸海空三軍の顕彰碑比較や、国民哀悼の日との関連でなんとかまとめられないだろうかと模索中です。

冬休みに連邦軍関連施設を訪れてしまって、仮の落としどころを定めて研究計画を立て直したいと思います。

 

 

2016年12月11日(日):Ritter-Sport-Museum

文化 旅行

今日は9時過ぎまで寝てしまっていましたが、おかげですっかり元気になりました。やはりバスで寝ても疲れはとれていないのだということがはっきりしました。布団はいいですね。

Yさん宅で朝食を共にし、お昼過ぎに家を出てRitter-Sport-Museumへ向かいました。
Stuttgardで有名なものといえばダイムラーベンツ、ポルシェ、そしてRitter-Sportです。Ritter-Sportというのはチョコレートのメーカーで、商品は世界中(日本含む)に輸出されています。それだけ有名なので大きな町に本社があるのかと思いきや、StuttgardのWaldenbuchという小さな田舎町に本社があり、工場もここに併設されています。Stuttgard中心地から電車とバスを乗り継いで一時間ほど南へ行ったところにあります。

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▲町の入口に立っているRitter-Sportのモニュメント

さて、Ritter-Sportという名前なのですが、私にはとてもチョコレートの会社とは思えませんでした。というのも、Ritterはドイツ語で騎士という意味の単語で、それに加えてSportなどというのですから、単語のイメージだけですと馬上スポーツ関連のグッズを作っているメーカーなのではないかなどと思ってしまいます。

道中Yさんに質問してみたのですが、「それこそ博物館に答えがあるさ」とのお返事。どうやら理由は知らないようです。ただ、Ritterというのは確かに騎士という単語ではあるのですが、創業者の苗字でもあるそうです。創業者はAlfred Ritterという方だそうですが、おそらくその家系がかつては騎士だったのだろうというのがYさんの見解でした。
ただ、Sportについては依然として謎です。

博物館までの通りは、Alfred-Ritter-Straßeと名付けられており、創業者の名前がそのまま使われていました。やはりこの地域の名士といいますか、代表的な人物として大事にされているのでしょう。

博物館はチョコレート博物館と現代美術博物館が併設された形になっていました。Ritter家の末裔が芸術家なのだそうで、Ritter-Sportのデザインを模したようなアート作品が並べられているのだそうです。ただ、今回は時間がなかったためチョコ博物館しか見ていません。

Yさんの予想通り(?)、Sportの謎についてもしっかり解説されていました。
まず、当初チョコレートの名前は「Alrica」(Alfred Ritter Canstatt)といったのだそうです。CanstattはStuttgart郊外の地区の名前(Bad Canstatt)ですので、創業者と地域の名を組み合わせた商品名だったわけです。ここまでは納得です。分かりやすい命名だと思いませんか?

当初はCanstattに本社があったということなのですが、それが1930年になって現在のWaldenbuchへと移転しました。その二年後に、Alfredの妻であったClara Ritterの発案で新たなチョコレートが作られました。それが、現在のRitter-Sportのトレードマークになっている正方形の板チョコです。
長方形の板チョコだと服のポケットに入りきらず、持ち運ぶ際に折れてしまうということが気になったためそのようなアイデアが出てきたのだそうです。この時に「スポーツジャケットにも入るチョコレート」というコンセプトが打ち出され、名前もそれに合わせてRitter家のSportschokoladeとなり、それが転じてRitter-Sportという現在の名前に落ち着いたということだそうです。

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▲回答が書かれているパネル

なるほど!
謎が解けました。他にもパッケージの変遷などあれこれ展示がありましたが、私にとってはこの謎が解決したのが最大の収穫でした。ネットで調べればすぐにわかることだったのかもしれませんが、旅行者にそれは言いっこなしです。現地に来て、見て、分かったということで、経験的に学び取ったことに意味がある...ということにしておいてください。

博物館にはチョコショップも併設されていました。Yさんが「ここではまだ正式に商品化されていない新しい味のチョコレートも購入できる」という情報を教えてくれました。そんな面白いシステムがあるとは!あれこれ一通り購入して典型的な旅行者といった楽しみ方をしてきました。自分がこんなにチョコレートに興味があるなんて知りませんでした。そういえばいつも甘いものを食べているし、結構重度のチョコ中毒かもしれません。新たな自分を発見しました。

さて、Yさんは明日ミュンヘンの大学で講義があるということで、ここでお別れと相成りました。Schwabstraßeの駅まで一緒に移動し、そこで別れたのちは自分たちだけでBenz-museumへ行ってみることにしました。

ところが、帰りの時間を鑑みるとほとんど展示を見ている余裕がありません。博物館まできてみたものの、これは入館料を払うのは惜しいということになり、無料で見ることができるミュージアムショップに併設されたエリアだけを見て帰ってきました。
そういうわけですので、特にここで学んだことはありません。強いて言うならベンツはお土産すら高級品だらけだったということが発見でした。確実にブルジョワをターゲットとしています。念のため断っておきますが、「ベンツ饅頭(12個入、800円)」みたいなものは一切ありません。

その後は、中央駅付近でクリスマスマーケットに寄り道しながら、Bietigheim-Bassingenというところまで行きました。

今回の帰路は、BlaBlaCarというサービスを使って予約していました。これは、一般人が運転する車に相乗りするようなシステムです。長距離を一人で運転する方がオンライン上で空席を販売しており、それを購入して予約し、相乗りさせていただくというシステムです。運転手は利用者によりレイティングされており、またBlaBlaCarの規約を遵守するという契約でシステムに登録されているため、安全で予約可能なヒッチハイクといった体裁のサービスです。

駐車場で約束した方の車を見つけるのに手間取って迷惑をかけてしまいましたが、特に問題もなくスムーズに乗せていただけました。もう一人同乗者がおり、その方が助手席へ行ってくれたためこちらはほとんど言葉を交わすこともなく道中眠りこけていました。物言わぬ不気味なアジア人を後部座席に乗せた運転手はさぞ気分が悪かったことでしょう。が、こちらは快適にデュッセルドルフまでの車中を過ごすことができました。

何より、バス移動で8時間かかったところが4時間弱で移動できてしまうという点がこのサービスの驚くべきところです。バスよりもはるかに体力的に楽です。
今後はこれも使ってみようかと思います。ただ、そのためにもドイツ語でもう少し会話できるようになりたいところです。