続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年11月26日(土):霧/晴れ) 弾丸旅行Bremen - Munster

昨日夜に慌ただしく立てた計画に従い、深夜バスでBremenまでやってきました。

到着したのは早朝4時過ぎで、外は真っ暗なうえに霧が立ち込めていました。ついでに極寒です。キール旅行を思い出すほどの寒さで、空気は暴力的なまでに冷たいという状況でした。

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▲霧立ち込める早朝の街並み

童話の町というイメージがあるBremenですが、今は不気味さの塊です。一人で来ていたら怖くて駅から出られなかったかもしれません。
しかし、しばらくここに滞在し、6時過ぎの電車でムンスターへ向かう予定です。それまではどこかで時間を潰さねば。

早朝4時ではまともな店が開いているはずもなく、また寒すぎてウロウロできるような精神状態にもありません。そんなわけで、24時間営業のワールドワイドチェーン店マクドナルドに逃げ込むことにしました。この時間のマクドナルドは似たような境遇の旅行者風の客や行き場のない若者などにあふれており、妙に賑わっています。私は寒さを何とかしたくてホットコーヒーとハンバーガーセットを頼みました。友人たちも似たようなものを頼んで席に座っていたのですが、私だけ店員に呼ばれてカウンターに連れていかれました。何か別のものも注文したかしら?と思っていたら、店員さんが顔を近づけてきてこんなことを囁いてきました。

「君たちの隣の席に座っている男だが、おそらく君らの鞄を狙っているから気を付けた方がいい。実は以前も旅行者の鞄が盗まれたことがあるんだ。同行者たちにも注意を促しておいて、荷物を離さないようにしておきなさい。」

こんな忠告をされたのは初めてです。確かに店内は若干アウトローっぽい方たちで溢れていましたが、ほかに行き場もないのでここにいる他ありません。そんな旅行者は狙われやすいカモなのかもしれません。店員のおじさまにお礼を言い、席に帰ってから荷物を近場に置き、朝食を済ませました。
隣に座っていた若者はこちらの食事が終わる前に立ち去ったのですが、その後掃除にやってきた店員さんがまた忠告してくれました。

「以前も日本人だか中国人だか、アジアの旅行者がやってきた際に盗難にあったんだ。会話に集中している間に鞄ごと持ち去られてしまって、パソコンや重要書類が入っていたために大層困っていたようだったよ。旅行中は気を付けるようにね。」

ドイツは安全な国なので時々海外にいるのだということを忘れて警戒心を解きかけてしまいますが、改めて旅行中は気を引き締めておこうと思いました。とはいえ、こうして忠告してくれる方もいるあたりドイツは良心的な国だと思います。もしかしたら以前の盗難事件とやらで店員さんも面倒ごとに巻き込まれて嫌気がさしたのかもしれません。いずれにしても助けていただいて感謝です。

その後、のんびりコーヒーなど飲んでいたのですが、突然警官が入ってきて隣に座っていた若者グループが店外に連れ出されました。何があったのか状況は一切わかりませんでしたが、店内から見える位置で取り調べが始まり、そのままどこかへ連れていかれてしまいました。
映画の世界のスラムのようです。大都市ブレーメンの中央駅前でこんな状態なのだと思うと空恐ろしいものを感じますが、時間も時間ですし仕方ないのでしょうか。ヴッパタールは治安が良いのだということを改めて思い知りました。

そんなことからブレーメン旅行が始まってしまったため、観光をするのも若干怖かったのですが、6時まで無為に過ごすのはあまりにももったいありません。ということで、友人たちと「音楽隊の像」まで早朝の散歩に行くことにしました。駅前周辺にはビールを飲みながら奇声を発している若者の集団などがおり、末法の世を感じさせるものがありましたが、旧市街の方へと入っていくと今度は一気に人気がなくなり別の意味で恐怖を覚えました。ついでに霧が立ち込めていたために、バイオハザードか何かのような世界に迷い込んだような雰囲気です。こんな時間に人が出歩いているのも怖いのですが、そうはいってもあまりにも人気がなさすぎます。

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▲有名な音楽隊の像 昼間は観光客でにぎわっているため、閑散とした状態は珍しい?

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▲早朝のクリスマスマーケット

旧市街の中心地はクリスマスマーケットの出店で賑わっているのですが、当然今は開いておらず、ただただ出店の間を迷路のように歩いていきました。そのころには冒険感があって面白く感じ始めました。
音楽隊像も無事見ることができ、ひとしきり写真撮影などをしたのちに駅に戻ってきました。

若干時間ぎりぎりではありましたが、ムンスター行きの電車に乗ることができました。ここから2時間弱の鉄道旅です。外はまだ真っ暗でしたが、ムンスターに到着する直前くらいに薄明るくなってきました。このあたりは平原のような風景で電車の中から見ている分には気持ちが良いのですが、外は風も吹きわたっており寒々しています。

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▲ムンスターの中央商店街の様子 まだ人も少ない時間帯だった

ムンスターについたのは8時過ぎでした。戦車博物館の開館は10時ですのでまだまだ時間があります。最初に博物館の場所だけ下見しておいて、あとは市街地をうろうろしようということになりました。
久しぶりにやってきたムンスターですが、相変わらずの田舎町といった風景に安心しました。博物館も外観は以前と全く変わっていません。
中心街の方へ歩いていくと、さすがにそれなりに人がいました。とはいっても、大体が犬の散歩をしているおじさんおばさんで、若者の姿は見えません。
商店街の端にある、リリー・マルレーン像を眺めたのちは、その向かいにある"NATO-Shop"というミリタリーショップで30分ほどお買い物をしました。
基本的にはBundeswehrの払下げ品が主力商品となっており、中古の軍服などが並んでいます。しかし、新品も各種扱われており、見ていて面白いお店でした。私はセーターと手袋、リュックサックなどを購入しました。基本的に軍服はサイズが大きいものばかりです。店員さんにも「ドイツの大人サイズ基準だから君に合うサイズのものはほぼない」と言われてしまいました。おかげで過度の散財は避けられました。
そんなこんなで遊んでいたら10時を過ぎてしまっていました。一通り買い物して満足したのちに改めて戦車博物館へ向かいました。

 

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▲リリー・マルレーン像 有名な歌曲「リリー・マルレーン」の世界観が表れているのはなんとなくわかるが、なぜここにこのような形で立っているのかという能書きが欲しいところ。

www.youtube.com

▲歌については歌詞付き動画を貼っておきます。ディートリヒが歌ったことで有名らしいのですが、ドイツだけでなく連合国側でも好まれた兵隊ソング的な側面も強かったと言われています。

 

戦車博物館は学生料金ということで3.5ユーロで見学できました。ロッカーを使う場合はデポジットとして10ユーロを支払う必要があります。鍵を返すことでその10ユーロが返ってくるという仕組みです。

今回は特別展などはやっていませんでした。前回の教訓で、格納庫の中はかなり寒いということを覚えていたため防寒具を着込んできたのですが、それでもやはり寒かったです。
展示品は前回訪れた際とほとんど変わっていなかったように思いますが、配置が若干変わっていました。前回3号戦車が置いてあった入り口すぐの場所にパンターが配置されており、かつてパンターが展示されていた場所には4号が置かれていました。3号は以前と逆向きに展示されていたため、前方からの写真が撮りにくくなっていました。
とはいえ、その程度の変化であとは大きく変化したところはなかったように思います。

 

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▲格納庫に入ってすぐ目に飛び込んでくるパンターの姿 以前はここに三号が入口にお尻を向けて配置されていました。入口を塞ぐかのように大型の戦車が横向きに配置されているというのはボービントンを思わせる配置です。ボービントンでは入口を入ってすぐのところにポルシェ砲塔のティーガーが横向きに展示されていました。

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ティーガーの配置は前回同様 やはりいつ見ても美しい

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▲”ブルーマックス”の愛称でも知られる「プール・ル・メリット勲章」

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▲鉄十字章も一通り展示されていました

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▲レオパルド 同じエリアに東独時代の車両も並んでおり、東西の車両を見比べることができます。

 

初めて訪れた際は感動の嵐で、丸一日見ていてもなお足りないと思ったくらいでした。特に、ティーガーの前で30分ほど立ち尽くしていたりしたのですが、既に展示の様子や配置を知っている状態で訪れた今回は極めて冷静に見学できました。
かつてほどの感動を味わうことができなかったという点は悲しむべきところなのかもしれませんが、人生そんなものなのだと思います。こうしてどんどん贅沢になっていくのでしょう。イギリスまでタイガーデイを見に行ったのも、前回渡航時に既に戦車に対する欲求が贅沢になっていたことを示すものだったかもしれません。このうえは発砲シーンでも見ない限り前回を超える感動は味わえないかもしれません。

ところで、前回訪れた際に図録を購入したのですが、日本に帰ってきてから改訂版が作られていました。今回の目的の一つはこれを手に入れることでした。かつての図録は展示物の解説ばかりで、博物館そのものに対する記述が少ないという欠点がありました。今回はそのあたりの記述が増えているのではないかと期待していたのですが、ちょっと期待外れでした。思っていたほど前回の版から大きな変化はありませんでした。
戦車博物館がなぜこの場所にあって、どのようにこれほどの展示物を集めたのかという点に興味があったのですが、そういった記述はパッと見た感じ少なそうです。
ムンスターはドイツ陸軍の戦車兵学校の町として、ドイツ陸軍史の中ではコブレンツと並んで有名な街らしい、ということが展示の中でそれとなく触れられていたのですが、そのあたりについての記述をもっとしてほしいところです。今思えば、ムンスターの地域史の本を探してみた方がよかったのかもしれませんが、帰ってきてからそんなことを思ったので手遅れでした。

戦車博物館を14時過ぎに出て、ブレーメンへ帰ることにしました。といっても、ブレーメン行の電車は2時間に一本程度の間隔でしか出ていないため、15時過ぎまで待たねばなりません。駅に着いてからはチケットを購入し、寒い中でしりとりなどをしながら待っていました。券売機が現金使用不能という珍しいタイプだったため、若干怖かったのですがクレジットカードでチケットを購入しました。カードを券売機で使うのはこれが初めてでした。

ブレーメンには17時過ぎに到着しました。早朝とは打って変わってすさまじい賑わいを見せています。人混みの中をクリスマスマーケットに向かいました。早朝一通り町を散歩していたおかげで、大体どこに何があるかわかりました。

相変わらず殺人的寒さだったので、早くクリスマスマーケットで何か食べたり飲んだりしたかったのですが、凄まじい人混みに移動するだけでも一苦労でした。広場にたどり着いたらまずはReibekuchenを食べて腹ごしらえをしました。ドイツ語には慣れたと思っていたのですが注文の仕方を間違えてしまい、大量のジャガイモケーキと対峙することになりました。友人たちの手も借りてみんなで食べたのですがあまりの寒さと空腹感のおかげでおいしく食べきることができました。立ち食い用のテーブルがあちこちに用意されていたのですが、そのあたりで食べていると声をかけてもらえたりします。当然見知らぬ人たちではあるのですが、世間話や冗談を飛ばしてくれたりするので楽しく過ごすことができます。

ブレーメンのマーケットは市庁舎周辺でかなり大規模に行われていたため、一通り見て回るだけでもかなり大変でした。どこかでホットワインを飲もうということになったのですが、あちこちに色々なお店があり、使われているカップの見た目なども違っていて店を選ぶだけでも面白みがあります。

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▲夜のクリスマスマーケットの風景 早朝の寒々した風景が嘘のような賑わい

大体クリスマスマーケットで扱われているものはどこの町でも似たようなものなのですが、それゆえに同じものを食べ比べたり飲み比べたりといった楽しみ方ができます。ただ、今日のように寒い日はそれをするのも若干辛いものがあります。

楽しいことには楽しいのですが、あまりの寒さと疲労感からどこかで座ってゆっくりしたい気分でした。が、帰りの電車も近づいてきてしまったため結局そのまま駅へ向かい、普段だったら絶対に購入することはないICという快速電車のチケットを購入して帰路につきました。若干割高だったのですが、寒さと疲れで早く帰りたいという感情が節約心を上回り、贅沢な行動に走ってしまいました。

日付が変わる直前にヴッパタールに帰り着きましたが、電車の中で若干眠っていたものの疲れは頂点に達しており、家まで歩くことに対して嫌気がさしました。といっても時間的に都合の良いバスもなく、またタクシーを使うのもさすがにはばかられましたので、友人たちと励まし合いながら歩いて帰りました。

まさかここまでハードな旅になるとは思っていませんでした。しかし、見たいものは一通り見てくることができました。

 

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悲しいニュースです。

「Deutsches Panzermuseum Munster」のFacebook公式ページ11月29日の記事を引用します。

 

ELVIS HAS LEFT THE BUILDING

Seit 2013 konnte das Deutsche Panzermuseum Munster einen Tiger zeigen. Bei diesem Fahrzeug handelte es sich um eine Leihgabe, und der dazugehörige Vertrag ist nun ausgelaufen.

Das Fahrzeug wurde daher am Montag, den 28.11.2016 aus der Dauerausstellung entnommen und kehrt nun zu seinem Besitzer zurück. Der Leihgeber hat sich das ehrgeizige Ziel gesetzt, das Fahrzeug wieder fahrfähig zu machen - ein großes Ziel, das den Trennungsschmerz etwas mildert.

Der Tiger hat damit die Dauerausstellung also nun verlassen; er kann im DPM nicht mehr besichtigt werden.

Allerdings sind wir mit Panther, Sturmtiger und Königstiger auch im Bereich der Großkatzen weiterhin gut aufgestellt und wir freuen uns darüber hinaus, im März ein neues Stück aus der Welt der Tiger zeigen zu können.

Also bleiben Sie uns treu! ;)

(Quwelle:https://www.facebook.com/DasPanzermuseum/?fref=ts)

 

以下、要約。

「2013年からムンスターで展示されていたティーガー1は借り物であり、今年になって貸出契約期間が終了した。2016年11月28日月曜をもってティーガー1は常設展から取り払われ、本来の持ち主のもとに戻ることになった。持ち主は車両を改めて走行可能な状態に復元するという野望を持っており、そのための措置として展示から去ることになった。3月にはティーガー関連の新たな展示が加わる予定。」

ということです。

なんという悲劇!ドイツで唯一ティーガー1を見ることができたのはここでした。イギリスには既に走行可能な状態のティーガーがあります。しかし、イギリスでドイツ戦車を見ることにどれほどの意味がありましょうか。ドイツ国内でティーガーを見ることができるというこの博物館の利点が失われてしまいました。さらばティーガー。最高に美しい鉄の塊だった...。

ただ、もし走行可能状態に復元するという野望が成就されたならば、また何らかの形で世に出てくることも考えられます。どうなることか誰にも予想はつきませんが、期待して待っていることにしましょう。

また、私事で恐縮ですが、前回私が留学したのは2013年からの一年間でした。つまり、私の前回留学開始時にティーガーはここにやってきて、今回留学時の2016年に去っていったわけです。...そんなわけで勝手に運命を感じています。次またティーガーが復活する頃にドイツに来ることができたら良いのですが...。

(2016年11月25日(金):曇り/晴れ) 展覧会

今日は授業終了後は家にこもり、夕方まで寝ていました。キール旅行以降疲れが溜まり続きでどこかでまとめて休みたいと思っているのですが、未だじっくり休むことができていません。

目が覚めたら展覧会へのお誘いのメッセージが来ていました。今日は例のおじさまが招いてくれたWuppertal市内で行われる展覧会のオープニングイベントの日でした。

博物館に行くとちょうど人が集まってきているところだったため、おじさまや本日のオープニングパフォーマンスを行うという方などに挨拶をして時間を過ごしていました。
オープニングパフォーマンスは不思議なものでした。ホルンか何かで不協和音が奏でられる中で、パフォーマーがテーブルの上に山盛りにされた砂の山を雄たけびを上げながら叩きのめすのです。そうすることで砂を床にはたき落としていき、テーブルの上から砂が一掃されるまでテンポを上げながらひたすら拳を振り下ろすのです。若干の狂気を感じるパフォーマンスでしたが、見ていて迫力があり面白かったです。ただ、どういう意味が込められているのかということは私にはわかりませんでした。ただただ気迫を感じていました。

このイベントには日本人学生が皆誘われていたのですが、後半はその日本人たちと話していました。先日、ミリタリー旅行に一緒に行こうと約束していた方と戦車博物館見学旅行の計画を立てようとしていたのですが、話をしていたところ空いているのはこの週末くらいだということが分かりました。そこで、突発的ではあるのですが今晩深夜バスでブレーメンまで行き、そこからムンスターまで電車で移動するという計画で明日一日の弾丸旅行をすることに決めました。
結局、動物園に行ったメンバー3人で出かけることになりました。そうと決まれば、ということで慌てて家に帰り、キールに行く際に利用したFlixbusの予約をしました。Flensberg行きの路線でしたので、前回乗ったものと同様のバスでした。

2330にデュッセルドルフを出発し、早朝4時過ぎにブレーメンに着く予定です。帰宅後一時間ほどで準備をして、皆でデュッセルドルフに向かいました。前回の教訓から、今回は早めにデュッセルドルフに到着できるようにしました。
デュッセルドルフバーガーキングで夕食を済ませ、余裕をもってバス乗り場に行くことができました。
予定を立てながら旅行するという杜撰極まる状態ですが、ブレーメンのクリスマスマーケットとムンスターの戦車博物館の二つを主目的としてプランを組み立てました。どうなることやら、楽しみです。

(2016年11月24日(木):曇り) Königsblauer S 04

今日は3コマ連続ドイツ語授業の木曜日です。授業が終わって14時過ぎだったのですが、16時頃から出かける予定が入っていました。

友人に大のサッカーファンがいるのですが、彼発案のサッカー観戦イベントに誘っていただいていたのです。

正直なところ私はサッカーには興味がありませんでした。ルールすらよく分かっていません。オフサイドなど、何度説明を聞いても理解できません。ですが、だからこそ行ってみようという気になりました。

おそらく、こういう機会でもなければサッカー観戦に行くことは一生ないでしょう。せっかくサッカーに詳しくて誘ってくれる友人がいる今のうちに見に行ってみようというわけです。

見に行くのは、SchalkeというGelsenkirchenのチームとフランスのニースというチームの試合です。友人はDortmundのファンらしいのですが、そちらのチケットはとることができなかったのだそうです。
Gelsenkirchenは、先日出かけたEssenの近くの町です。そこにあるVeltins Arenaというところが今回の試合会場です。ちなみにここがSchalkeのホームでもあります。試合開始は19時でしたが、早めに到着して様子を見てみるつもりでした。

会場の周りにはファンショップやフードスタンドなどが並んでおり、ちょっとしたお祭りのようです。何も知らないものの、ファンショップでマフラーを買って身に着け、さもSchalkeファンのような恰好をしておきました。友人曰く、Schalkeのシンボルカラーは青で、ドルトムントのシンボルカラーは黄色なのだそうです。Schalkeとドルトムントはライバル関係にあるため、Schalkeのチームメンバーはスパイクなどでも黄色のものは絶対に身に着けないというルールがあるのだそうです。「今日黄色いものを身に着けていたら殺されますよ」という冗談なのか本気なのかよく分からない忠告をされました。

彼がとってくれた席は、アリーナ東側の全体を見渡すことができるところでした。しかし、彼曰くファンは通常南側のスタンドで観戦するのが流儀なのだそうです。ただ、Schalkeの場合に限ってはその逆で、北側がファンの特等席なのだとも教えてくれました。これもドルトムントと関わりがある話なのだそうで、なんでもドルトムントファンが南側での観戦を好んで始めたために、Schalkeファンはそれに対抗して北側をホームとし始めたということなのだそうです。なんだか面白い文化です。

サッカーファンというと妙に団結力が強くて暴力的で騒がしいという、フーリガン的なイメージが私の中にありました。ですが、いろいろと話を聞いているともっと奥が深い存在のようです。

試合開始前に相手チームのサポーター集団は発煙筒をたいたりと過激なパフォーマンスを始めました。なんだかすごい迫力ですが、あちらにはあちらの流儀があるのでしょう。会場はブーイングの嵐でしたが。

さて、私は一切何も分からないまま観戦を始めたのですが、Schalkeグッズを身に着けてドイツびいきな気持ちで見ているとなんとなく青いものを身に着けたファンたちとの一体感を味わうことができました。さらに、敵チームがそれとなく憎らしく見えてくるという不思議な感情まで湧き上がってきました。「Die Welle」のアレみたいです。一体感の気持ちよさと外集団に対する敵意は表裏一体なのでしょうか。

特に、Schalkeがシュートを決めるとチームの歌が流れたりして会場を盛り上げるのですが、こういうイベントが妙に共同体感情を煽ってきます。サッカーのルールすら知らないのにも関わらず、Schalkeが愛おしく思えてくるのです。サッカーは危険なスポーツなのかもしれません。

試合はSchalkeが2点決めて相手は0点という形で幕を閉じました。最後に流れた、Königsblauer S04という曲でSchalke熱は頂点に達しました。

www.youtube.com

▲ファンたちが合唱しており、Schalke!と叫んでいるさまは中々の迫力でした。

帰りは人混みに紛れつつ、また迷子になりつつも何とかGelsenkirchenの駅にたどりつくことができました。まだ試合終了からそれほど時間が経っていないこともあって、サッカーを観戦したファンたちがあちこちにいます。ついでに警備の警官もあちこちにいて、非日常感を醸し出しています。

Essen行きの列車のホームに行くと、Schalkeの旗を持ったファンに「Glück auf Schalke!」と声をかけられました。よく分からないまま「Glück auf Schalke!」と返すと、仲間認定してくれたのか妙に親しげに話しかけてきました。

Essenまでの電車内で一緒に座って話をしていたのですが、どうもこのあたりの大学に通う学生らしいです。Schalkeの大ファンらしく、今日も北側で観戦していたとのことです。彼らは青と白の縞々模様のシャツを身に着けていたのですが、これはかつての炭鉱夫の服なのだということでした。友人曰く、Gelsenkirchenは炭鉱の町として有名で(Zollvereinの遺跡もここにある)、Schalkeのイメージキャラクターも炭鉱夫なのだそうです。そんなわけで、炭鉱の伝統がSchalkeを彩っているのだそうです。「Glück auf!」も単に「幸運を!」という意味があるだけでなく、かつての炭鉱夫たちがよく用いていた言い回しだということでした。
彼らは非常に親切で、Essenの学生イベントに誘ってくれたり次の試合情報を教えてくれたりしました。Essen駅で記念撮影をして別れましたが、またどこかで会うこともあるかもしれません。

サッカー観戦をしたことで、なんとなくサッカーファンの気持ちが分かったような気がします。正直なところ、サッカーそのものに対する興味は湧きませんでした。しかし、チームサポーターの一体感に対して興味が湧きました。同じ服装や色で一体感を強調し、同じチームを応援しているという共同関心でもって共同体意識を強化しているその在り方はまさにコミュニティ、ゲマインシャフトといった趣です。外から見ていると恐ろしく見えたり、野蛮に見えたりしても、中に入ってしまえば温かい仲間意識が待っているというのも何とも興味深い現象です。自分の精神的変化を観察できたという意味でも今回のサッカー観戦は勉強になりました。

 

(2016年11月23日(水):曇り) 哲学学生との交流

今日は、昨日出会った哲学専攻の日本人学生さんとポーランドの彼と一緒にデュッセルドルフに行きました。日本から来た彼は一週間弱しかこちらにいることができないらしく、なるべくあちこちを見ておきたいということだそうです。

デュッセルドルフでは飲み屋に入ったりクリスマスマーケットを見て回ったりしましたが、始終くだらない話をしていたように思います。大して重たい話題はでてきませんでした。

ポーランドの彼は、時折努めて軽薄に振る舞っているように見える時があります。根っこは結構ネガティブらしいのですが、普段はそのスイッチをオフにすべく奮闘しているような、そんな印象です。
昨晩は私が帰った後も遅くまで家で飲んでいたそうなのですが、二人とも驚くほど元気です。というか、カンファレンスが終わったならばともかく、直前のタイミングでそんなに浴びるように飲んでいて大丈夫なのかとこちらが不安になってしまうくらいです。私は発表の経験も乏しく、発表前は緊張の塊になってしまった記憶があります。
二人とも既に場慣れしており、肝が据わっているということなのでしょう。たくましいです。
結局夜までデュッセルドルフにいたのですが、二人はこれから家に帰ってまた飲むつもりなのだそうです。体力もアルコールの許容量も底なしなのでしょうか。かつて指導教員から「研究者は体力がないとやっていられない」というような話を聞いた覚えがありますが、この二人からは体力的ポテンシャルを大いに感じました。

 

(2016年11月22日(火):曇り) 哲学サークルとの出会い

今日は夕方になってポーランドの友人の誘いでKneipeへ行くことに。ポーランドの彼は哲学専攻でハイデガー研究をしているのですが、今週末にカンファレンスがあるらしく、各地から同じく哲学専攻の学生たちが集まってきているのだそうです。日本からも彼の友人が来ているとのことで、そんなわけで私も招いてくれたのでした。

日本から来ていたのはドクターの学生で、カンファレンスではドイツ語で発表をするのだと話してくれました。文系で国際学会に出ている学生に今まで出会ったことがありませんでしたので、驚きました。

アジア以外にも中東など各地からの学生がKneipeで集まって飲んでいました。みんな飄々としていてフレンドリーなのですが、ほとんどが博士後期課程の学生だったようです。

日本の彼も、私からしたら5つほど年の離れた先輩にあたるのですが、中々面白い人生哲学の持ち主でした。日本語を使うとかしこまってしまうという理由から、日本にいる際にも友人とはドイツ語で話していたそうなのですが、こちらに来てからも同様の理由からか、ほとんど日本語は封印されていました。
日本人とドイツ語で話すことは今までほとんどありませんでしたので、なんだか不思議な体験でしたが、確かにドイツ語でなら妙にかしこまってしまうこともなく話すことができます。"Du"を使うことも許していただけましたので、余計に距離感を感じることなく会話ができたのだと思います。

博士課程(特に文系)はいばらの道というイメージが強いのですが、こうしてインターナショナルな場で活躍している姿を見ていると若干の憧れを覚えます。当然果てしない苦労をされてきているのでしょうが、うまく自己実現の道を見出しているような、そんな印象を受けました。

自分は未だに何に人生を使うべきか考えあぐねています。25にもなってこんなことを言っているのは甘え以外の何物でもないのでしょうが、人生設計がまるでできていません。学部時代にも友人たちが就職活動に舵を切っていく中で、私はそうした割り切った行動ができずに前回の留学をしたのです。そのおかげで良い卒業研究のテーマが見つかりましたし、自身の興味も広げることができました。その延長に大学院進学と今回の留学があるのです。
ドイツにいると30代の学生も多数おり、博士課程の学生もそこまで珍しくありません。文系であってもそうです。そのようなわけで、ここにいる限りにおいてはこの先に進んでしまうのもありなのではないかと考えてしまうのですが、日本に戻ると途端に考え方が保守的・安定的になります。どのような決断をしたところで先のことは分からないわけですが、私はチャレンジ精神に乏しい節があり、逃げ腰な考え方をしてしまいがちです。自分がやりたいことも深層心理の中にはあるのかもしれませんが、何らかの形で就職先を探す以外に自分が進める道はないような気もします。そろそろ決断を下さなければならないというのに、いつまでも精神的に幼稚だなぁと自分に対して情けなさを覚えます。その一方で、学部時代に周りに流されて就職活動をしなかったことはそれなりに自分に対して意味があったように思いますし、もう少しじっくり悩んだ方が良いような気持ちもあります。度し難く贅沢な生き方ではありますが、せっかく再度の留学の機会を得ているのだし、こちらの人たちの人生観に影響を受けてみるのもありかと思っています。

 

(2016年11月21日(月):雨/曇り) アフリカ式治療法

相変わらず下痢です。どうも朝が最も症状がひどく、痛みもあります。

8時頃起きたものの、結局しばらく動けず、またしても2コマから参加しました。

授業教室へ向かう途中、喫煙サークルの仲間たちに会いました。
実は最近下痢で苦しんでるんだよね、と伝えたところ、ああそれなら!といくつかお勧めの飲み物などを教えてくれました。

・薄めに作ったコーヒーにはちみつを入れて飲む
・レモンを絞ってお湯と混ぜて飲む
・下痢が治るまではバナナでしのぐ
・なんとかいう木の実を食べる

アフリカでは錠剤を服用するようなことはほとんどないそうです。
それはもはや重病人という認識らしく、大抵の体調不良は自然な療法で治癒するのが一般的だということでした。
例によって、「アフリカではすべてがBioなんだ。BioコーヒーにBio治療、BioタバコにBio人生」などとやたらBio押しなジョークを言っていました。

木の実はさておき、その他の方法は家でも試すことができそうです。
先週末から正露丸を飲んでいたものの、あまり症状が改善しておらず、正直なところ打つ手がないというような状態でした。
早速試してみようと思い、授業終わりにスーパーへ行ってはちみつとバナナを購入しました。レモンは買い忘れてしまいましたが。

ついでに食事も気を付けてみるべきかと今更改心し、おじやなどを作ってみました。
おじやとはちみつコーヒーでしばらく様子を見ていたところ、夕方ごろには少し気分が良くなってきました。
病は気から、といいますし、単に気持ち的に健康を取り戻しただけなのかもしれませんがなんでも構いません。
夕方からは少し作業をするくらいの余裕が出てきました。ようやく生活を取り戻せそうです。

まさかこんなに早く改善がみられるとは思わず、おじやを作りすぎてしまいました。
腐らせてしまうのも嫌なので、友人を呼んでおすそ分けしました。まだ数食分余っていますが、何とか2~3日で片付けられそうです。

(2016年11月20日(日):曇り) おじさまのホームパーティ

今日は、以前お会いした日本で働いていたことがあるというおじさまのお誘いでホームパーティに伺うことになっていました。

ただ、午前中は依然として体調が悪く、一度はお誘いを断ろうかとも思ったのですが、この機会を逃すと次お会いする機会もなかなかなさそうなので行ってみることにしました。私以外にも日本人学生が6人ほど一緒に行くことになっていました。

おじさまは中央駅からバスで20~30分ほどの閑静な一帯にお住まいでした。
バス停まで迎えに来てくださり、一緒に家まで歩くことになりました。
今回は私一人男性で他は女性ばかりだったのですが、ドイツではそういう状態を「Hahn im Korb」というのだそうです。「少し肩身が狭いんです」と伝えたくて「bisschen Unangenehm」と言ったのですが、うまくニュアンスが伝わらなかったようでした。
それから、今日はTotensonntagというキリスト教で死者に敬意を払う日ということだったため、それについても伺ってみました。「確かにキリスト教的な行事としてそういうのはあるけど、今のドイツではそこまで大事にされていないかな」という反応でした。
Volkstrauertagもそうでしたが、一部の人々にしか浸透していないのでしょうか。
ただ、午前中ラジオを聴いていた際に、Tontensonntagについて色々な宗教の方にお話を伺うコーナーのようなものが設けられており、あれこれ議論がなされていました。皆知ってはいるけれども大して大事に扱ってはいないということでしょうか。よくわかりません。


家に入ると、美術商をしていたということだけあってあちこちに絵画や小さな作品が飾ってあります。
銀杏がお好きなようで、美術作品だけでなくテーブルクロスなどにも銀杏の模様が描かれています。
近くの美術館に銀杏の展示を置いてもらってもいるらしく、よほど大好きなようでした。

次の金曜日に市内の美術館で展覧会があり、その企画に携わっているということでお誘いをいただきました。パンフレットや図録も見せていただいたのですが、面白そうです。

お宅ではワインやサンドイッチなどをごちそうになってしまいました。こういうホームパーティ文化はなんだかホッとします。「自分の家だと思ってくつろいでね」というセリフを久々に聞きました。前回は各地を案内してくださったMさんのお宅でその言葉を耳にした覚えがあります。

また、途中からWuppertalに住んでいるという日本人の方がいらっしゃいました。
ピナバウシュのダンススクール関連の方だそうで、もう30年ほどこちらに住んでいるのだそうです。
羨ましい。

ただ、このあたりから具合が悪くなってきてしまい、正直なところ何を話していたのかすらよく覚えていません。ちょうどよく?Dさんも今日は調子が悪そうだったので、二人で話して途中で抜けて帰らせていただくことにしました。

万全の状態で楽しむことができなかったのが心残りではありますが、またお会いする機会を得ましたのでそこでまたお話しできればと思います。