続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年12月1日(木):曇り) いつもの面々

ここ二日間の食事会で招待していた人たちが洗い物をしてくれるという話になっており、授業終了後にまたしても鍋会メンバーと顔を合わせていました。

最近絶え間なくこの人たちと会い続けています。特定の人たちと癒着関係を築いてしまうのはあまりよろしくないことなのかもしれません。半年の留学期間ですのでもっと幅広く人と知り合った方が良いかもしれないとも思います。
しかし、この人たちと集まっていると日々の不満や他人の悪口などを遠慮なく言えるため、好んで集まってしまっています。
私の指導教員は「悪口を言わない人間は信用できない」とよく言っていました。最初はなんだか極端な表現だと思っていたのですが、最近は完全にこれが座右の銘と化してきました。やはり悪口を言い合える関係というのは貴重です。遠慮なく物事を言っているのだということの一つの証左が悪口のような気がするのです。

私は今まで遠慮のない人間関係をうまく築くことができていなかったように思います。
同期の学生にも敬語を使ってしまったり、妙に気を遣ったりしてしまうことが多くありました。ましてや、年齢が離れてしまうと相手への距離感はより増してしまいます。部活やサークルの先輩たちにはうまいこと甘えられていたのですが、その先輩たちは皆卒業してしまいました。自分が先輩の側になって、後輩と仲良くなることの困難さにようやく気付かされたわけです。
先日の哲学専攻の彼が、日本語を使わなかったというのもうなずける話です。日本語で話していると、意識しない限り敬語ばかりになってしまうのです。その点、こちらにいる間はそのあたりのことが問題になりづらいから居心地が良いのかもしれません。

このように書いてしまうと印象が悪いかもしれませんが、一緒になって悪口を言い合える相手は確かに信頼できるのです。もちろん、私も陰で悪口を言われている可能性はありますが、そんなことはこの際どうでもいいのです。
研究とは一切関係ありませんが、指導教員から人間関係のコツを学ばせていただいたように思います。悪口を言い合えるようになってから、お互い遠慮がなくなって気楽に話せるようになりました。今や友人たちは私の部屋の備品を勝手に使ったり、ご飯を食べていったりといったことを恒常的にしてくるのですが、こうしたことは私にとって一切不愉快ではありません。それどころか、こうした距離感というのは今までに味わったことがないほど心地よかったりします。精神的に開放されたような気分です。
偏った人間関係に陥っているのではないかという不安を抱く反面、こういう人間関係を大事にしたいとも思っている点が最近の心理的葛藤です。

夜はKneipeの交流会に顔を出したのですが、会いたいと思っていたトルコのMくんは今日は来ていませんでした。代わりにポーランドの彼が来ていたので、カンファレンスがどうだったのか聞いてみました。彼はカンファレンスを聞きに来てほしかったらしく「どうしてこなかった?悪い男だ!」と日本語でなじられました。といっても、彼はフランス語で発表するといっていたので、その場にいても私はボケっとしていることしかできなかったでしょう。久々にこの交流会に顔を出しましたが、大して新しい出会いはありませんでした。ここでもメンバーが固定化してきつつあります。これはこれでいいのか...?