読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年10月23日(日):晴れ) 休息日

今日は8時過ぎに一度目が覚めたにもかかわらず二度寝をしてしまい、結局お昼頃まで惰眠を貪っていました。

大学院に入ってからやる気を失っていた一時期は常に14時過ぎまで寝ていたこともありましたが、ドイツでは絶対にそうならないようにしようと自分に誓っていたのです。
が、早速誓いを破ってしまいました。いやーよく寝た。

活動開始後は、一昨日購入した麵つゆや生姜焼きのたれなどを使って料理を作り貯めしました。
フライパンからはみ出すくらいに肉・野菜を詰め込んで野菜炒めもどきを作りましたので、今後2~3日はこれで食いつなげるはずです。
今回はご飯も非常にうまく炊けました。鍋炊きのコツも思い出しつつあります。

その後は一日家で作業していたため文化的側面について特筆すべき発見や出会いはありませんでした。


以下、研究関連で分かったこと。
コブレンツの陸軍顕彰碑はキールの海軍顕彰碑と異なり、所有者がラインラント-プファルツ州らしいのです。
キールの方は、ドイツ海軍連合会という組織が独自資金で建設・維持管理を行っていることを誇りとしているのですが、コブレンツは公的な機関や政府の援助で戦後になって作り上げられた施設であるようです。
施設そのものは1972年に設立されたとのことですが、当初は現在と異なった碑文が刻まれており、また施設そのものの形も今とは少し違っていたといいます。
改築計画は断続的に続いていたようで、以前写真を掲載した施設右手の小さな碑石などは2005年と比較的最近になってから建てられたもののようです。
こうした動きは、かつての陸軍兵士を追悼しようという復古的・保守的な動きから生まれたものというよりは、現ドイツ連邦軍の任務が多様化し、国外派遣などによって新たに命を落とす兵士が増えてきてしまったことが背景にあるのだそうです。
解説の碑文には確かにそのようなことが書かれていましたが、これは最近になって現れた新解釈とでもいいましょうか、追加的に施設の意味づけを行った結果だということです。
このあたりの施設の意味を読みかえていくプロセスは、海軍顕彰碑にも共通しています。ただ、あちらはワイマール時代に計画され、ナチ政権下で除幕されたものであるために歴史も長く、その分時代に合わせて複数回の再解釈を行う必要がありました。さもなければ、いつまでの時代錯誤な保守勢力の牙城と称されていたことでしょう。いや、未だにそういった批判も残っているのかもしれません。
一方で、陸軍顕彰碑は設立自体が72年ということですので、現代から見返してもそこまで時代錯誤めいたことは表明していなかったといえます。確かに、第一次大戦・第二次大戦における戦没将兵が追悼および顕彰の対象ではあるのですが、「全陸軍兵士を記念する場」としては妥当な追悼対象といえるのではないでしょうか。
ただ、海軍顕彰碑は今となっては追悼対象を大幅に広げており、「全世界の海上で亡くなった人たちすべてのための記念碑」であるとされています。これと比較すると、陸軍顕彰碑は頑なに陸軍兵士のための顕彰碑であることを標榜していますし、また「"ドイツの"陸軍兵士」のための碑であって、陸軍兵士ならば出身国を問わず無条件に追悼対象に加えられるというわけではありません。
そのあたりは、海軍顕彰碑の方が間口が広く、寛容な解釈がなされているように思います。


また、それ以外に興味深かったのは2006年の除幕式の話です。
というのも、どうやら元連邦首相のヘルムート・コールが挨拶の演説をしたようなのです。
コール首相といえば、ドイツにおける戦没者追悼関連の問題に大きく関わっている人物です。85年にレーガン首相とともに行ったビットブルク墓地訪問は、SS隊員の墓が見つかったことで論争の種となりました。また、ベルリンはウンターデンリンデンの「ノイエ・ヴァッヘ」を現在のような中央追悼施設にしようとして、ユダヤ人評議会と揉めたのもこの人です。

私はコール首相の人となりについてよく知らないのですが、戦没者追悼はコール首相の中で大きなテーマだったのでしょうか。ビットブルク論争については、冷戦構造の中でアメリカとの結びつきを内外にアピールする政治的意図があったという解釈を読み、それに基づいた理解をしていました。しかし、退職後もこうしてわざわざ陸軍顕彰碑の除幕式に赴く(あるいは招かれた?)というと、何か別の意味もありそうな気がします。
もしかするとキールの方にも何らかの形で関わっていたりするのかもしれません。

ともあれ、2006年ですからこうした改築や意味づけがなされたのはほんの最近なわけです。今後もこうして随時変化していく可能性は大いにあります。「国民哀悼の日」には毎年式典が行われているとのことですし、陸軍顕彰碑は海軍顕彰碑と同様に生きた記念碑であるといえます。

ここで気になるのは、陸軍顕彰碑の設立に対する批判はなかったのかということです。海軍顕彰碑に関しては戦後になってから学生運動やデモなどを通じて批判の的となった歴史があるそうです。新聞記事で読んだだけですので詳しくは分かっていないのですが...。
陸軍顕彰碑は設立時期が遅いことから、そういったドイツの過去に対する批判的なムードが強かった時期をうまくやり過ごした可能性もあります。しかし、これについても今後調べてみようと思います。

 

それにしても、この陸軍顕彰碑については各種webサイトの情報がかなり詳しいという皮肉な状況です。ドイツまで来て現地の様子を伺い知ることができたのは良かったのですが、調べ始めたら結局webサイトに行きついてしまうというのはなんだか寂しい話でもあります。ドイツ連邦軍のwebサイトに加え、陸軍顕彰碑を維持管理する理事会のページなどにも詳細な情報があり、施設で購入したパンフレットより詳しかったりします。ありがたい話なのですが、どうせなら現地でしか手に入らない本なり資料なりを手に入れたいという気持ちもあります。

 

さて、明日はドイツ語クラスの試験があります。
それ以外にもいよいよ本格的に授業が始まりつつあります。
渡独後二週間ほど経ちましたが、改めて気合を入れていきたいと思います。

 

-----

それからブログに関してですが、日記といいつつもこうして若干更新に時差が生じることは今後も多々あります。いつもメモ帳に下書きしたうえで、それを若干修正しながらアップロードしているのですが、この修正作業が案外面倒で後回しにしているうちに二・三日遅れるという寸法です。更新が途切れたからといって活動停止しているわけではありませんし、いずれまとめて穴埋めする形で記事をアップするようにしますのでよろしくお願い致します。