続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

出発から到着まで

<2016年10月4日(火):晴>

日本を出発した日。
お昼の新幹線で品川へ向かい、そこから成田空港へ向かいました。両親も一緒に来てくれるということになり、「過保護な父さん母さんだなぁ」なんて思っていたのですが、大荷物で移動することもあって何かと助かりました。それに、テロやら何やらできな臭い時代ですので、渡航後に何があるか分かったものじゃないし、しんみり別れを惜しむのもありかもしれないと思いました。
空港についてから、重量の関係で手荷物の整理などをしたりしていましたが、ギリギリの時間になって何とか預かり荷物・手荷物ともに規定重量に収まりました。手荷物は若干重量オーバーしていたと思いますが、チェックイン時には何も言われませんでした。

チェックインをする際にエミレーツの窓口で若干不安になることを言われました。片道航空券を持っている場合、「ドイツに住んでいるか、あるいはVISAをすでに持っていることが前提」というような扱いになってしまうらしく、留学する旨と証明書を見せて説明するまでちょっと怪しまれてしまったのです。とはいえ、対応は非常に丁寧でしたし、話せばわかってくれたので良かったです。が、これは渡航先の入管でも何か言われそうな予感です。

 

ところで、私はこの春からたばこを吸い始めました。これまでは一切関心がなかった免税店エリアですが、ちらっとたばこコーナーを覗いて見てみたところハイライト1カートン2,600円などと書いてあるではありませんか。一箱400円以上するこのご時世にこれは破格。免税恐るべし!

ドイツに持ち込めるたばこの量は1カートンまでらしいのですが、実はすでにゴロワーズ2箱とハイライト2箱を持ってきてしまっていました。免税店のことは一切頭になかった...。どうしたものか悩んだ末に、結局ハイライトのカートンを購入し、4箱捨てて持って行くことにしました。ドイツではたばこが高そうですし。

ドイツの友人がゴロワーズを吸っていたので、彼に日本版パッケージゴロワーズをお土産として渡したいと思い、それだけは残しておきました。

 

ちょっと脱線しますが、私にとってゴロワーズムッシュかまやつでハイライトは吉田拓郎です。ムッシュの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」という曲の影響で、「たばこを吸い始めるならゴロワーズにしよう」と高校生のころから思っていました。そんなことを頭の片隅に置いていたのですが、ちょうどドイツから友人が遊びに来た際に彼がゴロワーズを持っていたのです。これが噂のゴロワーズか!と興味を示していたところ、彼が一本分けてくれました。そんなことがあってから緩やかに喫煙者になってしまったというわけです。ハイライトは最近になって吸い始めました。中学から高校にかけて吉田拓郎ばっかり聴いていたのに、たばことなるとムッシュを贔屓してしまっていたので、改めて拓郎路線に戻ろうかと...脱線はこの辺にしておきましょう。

 

成田からドバイまでは11時間15分、ドバイからデュッセルドルフまでは6時間55分かかるということで中々息苦しくなります。搭乗機はドバイまではB-767だったような気がします。機内は若干せまく、荷物置き場も小さめでした。予約していた席に座っていたところ、家族連れの方から席を変わってほしいといわれて一つ横に移ることになりました。案外航空機の座席って自由なんですね。乗り慣れていないのでよくわかりませんでしたが、乗客同士の都合で席を変えることに関しては問題ないようでした。

夜になって消灯されても眠れず、なんだか寒くて鼻をかんだりくしゃみをしていたら風邪患者と間違われたらしく、温かい飲み物をCAさんが用意してくれたうえに、温かいペットボトルを湯たんぽとして貸してくれたりもしました。早速周りの人に迷惑をかけてしまって不甲斐ない話です。気を使っていただいたものの、結局あまり寝れないままにドバイについてしまいました。

バイでは乗り継ぎ時間が5時間ほどあったため、数時間ベンチで昼寝し、起きてから朝食を摂りました。カフェ的なお店でコーヒーとクロワッサンとアラビアンケバブ?のようなもののセットを食べたのですが、ケバブチックなやつが思いのほか辛く、ちょっとお腹にダメージが...。

そんなことをしていてもまだまだ時間が余っていたのでfree Wifiスポットを探すことにしました。せっかくなので家族に連絡しておこうと思ったのです。インフォメーションで話を聞くと、空港内には1時間無料で使える仕組みのwifiネットワークがあるとのことで、パスワードを書いた紙片をくれました。

両親に連絡したりしていたところ、同じゼミのメンバーからメッセージが来ていてなんだか励みになりました。大学院に入ってから同期はほとんどいなくなってしまい、話し相手も少なくなってしまっていました。ゼミの皆さんの存在は本当にありがたいです。

 

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<2016年10月5日(水):晴>

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 ドバイからデュッセルへの搭乗機はエアバスA380でした。さすがにこの便にはドイツ語話者の客も多いようで、あちこちからドイツ語が聞こえてきました。機内は広々快適だったのですが、またしても家族連れに席を変わってくれと言われてしまいました。彼らをはじめとして赤ちゃん連れの家族が複数組乗り込んでおり、離陸時には鳴き声の大合唱に。子供を連れていると大変だなぁなんて思っていたら、「こりゃドルビーサラウンドだ!」なんて言いながらドイツ人のおじさんが楽しそうにしていて、なんだかこちらまでほっこりしてしまいました。

ここでは断続的に二時間ほど眠ったのですが、疲れはとれず。

デュッセルには予定時刻より若干早く到着。空港もスムーズに出ることができ、電車のチケットを買ってヴッパタールへ向かいました。思いのほか寒いというのが外に出て最初に思ったことでした。

ヴッパタールについてみるとびっくり。町が様変わりしており、以前通っていたケバブ屋やアジアヌードル屋が並んでいた地下道がなくなっているではありませんか。タクシー乗り場も以前警察車両がたまっていた路地エリアに移っていました。

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▲壊れている町の様子。3ヵ年計画の工事だという噂を聞きましたので、滞在中はこのままのようです。

 

タクシーに向かって歩いていくと、「ほら来た!わかるぞ、マックスホルクハイマー通りに行きたいんだろ?」と運転手さんの方からから話しかけられました。どうもこの時期に大荷物の若者が来ると大体が留学生ということらしく、タクシー運転手たちにはそのあたりの見分けがついてしまうらしいのです。こういう感じのざっくばらんな態度で接してくれるのが、私の思うドイツっぽさです。若干の懐かしさを覚えました。

タクシーのトランクに荷物を載せる時も、「自分でやってくれよ兄ちゃん。タクシーに傷つけないように気を付けてね。」などと言われてしまうあたり、日本式とは大違いです。腰の低さや丁寧さはそれほどありませんが、妙にフレンドリーな感じがしてこちらも気楽になります。

大学寮の窓口は15:30までしかやっていないということだったので、事前に遅れるかもしれないと伝えていたのですが、なんとか営業時間内に到着できてしまいました。ところが、既に遅れるものとしての対応をしてくださっていたようで、チューターさんに鍵を預けてしまってあるとのことでした。そのチューターさんを既定の時間より早く呼び出してもらうことになってしまい、間に合ったためにかえって申し訳ない気分に...。

この時嬉しかったのは、Hausmeister(寮の管理者)さんが説明していたことの80%ほどが聞き取り理解できたことです。前回は何もわからず涙目だったのになぁとしみじみ。
一通り手続きしてくれている間に、持ってきたお土産のお菓子を渡しました。ドイツには日本ほど物を送る文化がないと思っていたので、どんな反応をされるのかドキドキしていましたが「オフィスの冷蔵庫に入れておいてみんなで食べるね」と言ってくれました。よかった。

そんなこんなでチューターさんが到着。今回の寮は以前とは違う建物でした。部屋に連れてきてもらうと、またしてもソファーベッド(コーチ)。机も椅子も一通りそろっていて、本棚にクローゼットもある。食器は各種一通りそろえられている上に、ハンガーや小物入れ、箒に洗剤、さらにはwifiルーター(!)まで置いてありました。当たり部屋です。これは、前の入居者さんがよほどきっちりした人だったのだろうと思います。ここまで一式揃えて置き土産をしてくれるとは。ありがとう、前入居者さん!

部屋の掃き掃除および家具の雑巾がけを終えたのち、荷物の整理もほどほどに買い物へ行くことにしました。早くしないとお店が閉まってしまうのです。

道中、駅周辺の変わりっぷりに再び驚かされました。工事現場だらけじゃあありませんか。以前は駅から地下道を通り、すぐにショッピングモールに出ることができたのに今では仮設陸橋のようなものを通ってSchwebebahnの駅側へ出る道を通るようになってしまっています。以前の姿をしっているだけに遠回りをしている気がしてしまってなりません。


まずはSchwebebahn駅内のkioskでライターを購入しました。1ユーロ。
続いて室内履きサンダルが欲しかったのでCity-Arkaden(ショッピングモール)へ行きました。以前と同じ靴屋で、おそらく以前と同じサンダルを購入。但し、今回は色々会話ができました。サイズは他にないかとか、日本サイズでいくつのものが欲しいとか、そういったことをうまく伝えられたのでほっとしました。

せっかくモールまで来たので、akzenta(モール内のスーパー)で買い物をすることにしました。分厚いトイレットペーパーやテンポ(ティッシュペーパー)が懐かしい。牛乳やカップめん、石鹸などとりあえず一日過ごせるようなものを買い、その後アジアフード屋のマーケットへ。

Nudelnbox mit haehnchenという懐かしのメニューを注文してみました。
店員はアジア系の方で、「どこから来たの」とか「日本といえばデュッセルドルフ」とかいろいろお話ししてくれました。こういう気さくな人たちが多いのがドイツのいいところです。お互いにどうみてもアジア人なのにドイツ語でやり取りするこの感じ。

近年Pegidaという排外主義的な主張をする団体が勢力を広げています。彼らは、ドイツにいながらドイツに馴染もうとしないムスリムの人たちを敵視しているらしいのですが、そういった人たちに対して恐怖心や苛立ちを覚えるという心理はわからないでもない気がします。

というのも、ドイツは多国籍な国で、町を歩いていると色々な言葉が聞こえてくるような環境にあります。お店も多国籍で、ケバブ屋はトルコ系の人が、アジア料理は中国やベトナム系の人が、といった具合なのです。そんな中で、国籍を超えてやり取りするための公共ツールとしてドイツ語が使われています。お店などでも基本的にはドイツ語でのやり取りがなされており、こちらが英語で話しかけたりしない限り、見るからにアジア人の私に対してもみんなドイツ語で話しかけてきます。

ドイツ語という媒体で緩やかに多国籍な人々がつながっているようなイメージを私は持っていますが、そのような中で自分たちの言語だけで生活していて、自分たちの文化・慣習に閉じこもって生活する集団がいるとなると、理解できなくて不安になってしまうのではないかと思うのです。ドイツ人の方から歩み寄れば相互理解のきっかけはできるのかもしれませんが、ドイツにいるんだからドイツに合わせるべきだろうというのがPegidaの主張なのでしょう。郷に入っては郷に従うべしということです。

私は排外主義に同調する気は一切ありません。またドイツにいる限りにおいては私もまた「よそ者」あるいは日本式にいうところのいわゆる「外人」なわけで、自分ではドイツに馴染むことができているつもりでもアウトサイダーなのです。ですから、どちらかというと排除されうる側の人間なのですが、あまりどちらかに偏った見方をしたくもありません。

私がドイツに居心地の良さを覚えるのは、ドイツ人もそうでない人もドイツ語でなんとかコミュニケーションを取り、相手に関心を示しあうところがあるからです。例えば上で話題に挙げたアジアフード店のおじさんたちは、店員同士では母国語と思しき言葉を話しています。しかし、客には外国語であるドイツ語で対応し、こちらも外国語であるドイツ語で答えるわけです。”国際語”として扱われる英語を使いすらせず、片言であっても現地の言葉を使い、それでいて変に格式ばらずにざっくばらんに会話するというのがなぜだかわかりませんが本当に気分が良いのです。これはドイツの西の果ての田舎町故の雰囲気なのかもしれませんが、こういう雰囲気には末永く残っていてもらいたいものです。

 

...話を戻しましょう。

ご飯を食べて部屋に帰るとすごく眠かったので、すぐシャワーを浴びて寝た...のですが、携帯の時間が日本時間を指していることを失念していたため、変な時間にアラームが鳴ってしまうという救い難い事態に。4時とか5時とかいう時間に目が覚めてしまい、もうちょっと寝ようとするものの寝付くのに苦労するというよくわからない状況。ようやく眠れたと思ったら今度は寝すぎてしまい10時過ぎになっていました...。ぐぬぬ