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続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年11月16日(水):曇り/雨) Wuppertal Zoo

DHL

今日は授業がありません。Kielへの旅行疲れで半日ほど寝ていました。

夕方からDさんたちとWuppertalの動物園へ行く約束をしていたのですが、その前に税関(Zollamt)に行ってみることにしました。例の荷物の在り処を探す旅です。私が同様の問題に巻き込まれたときは、タンデムで仲良くなったJさんが車を出して助けてくれました。税関はVorwinkel地区にあるのですが、そのあたりの風景を見ていたら当時のことを思い出しました。ありがとう、Jさん。

今回はSchwebebahnを使ったのですが、税関までの道がよく分からなくなって若干迷子になってしまいました。明確な目的をもってやってきたはずが、半ば散歩をしに来たかのようになってしまうという申し訳ない状況でした。ただ、vorwinkel地区はほとんど来たことがなかったため、景色も中心地とは異なっていてなかなか面白くもありました。

結局遠回りをして税関にたどり着きました。早速窓口で問い合わせてみたところ、DHLの荷物追跡番号だけでは税関では荷物の在り処を検索することができないと言われてしまいました。先方の話によると、どうやら荷物が税関で止まってしまった場合はDHLからお手紙が来ることになっているらしく、その手紙に税関での保管番号のような数字が記載されているのだそうです。Dさんの下には不在通知すら来ていなかったため、そのような手紙も手元にはありませんでした。税関に来れば何とかなるかと思ったのですが、結局徒労に終わってしまいました。Dさんにも悪いことをしてしまいましたが、どうやら電話が折り返しかかってくることを待つしかなさそうです。

今日は荷物に関してはこれ以上何もしようがないため、気を取り直して動物園へ向かいました。冬の動物園は動物たちの元気がなくて面白くないなどという噂を聞いていたのですが、私たちが訪れたタイミングが良かったのか、思いのほか動物たちは活発です。ペンギンの餌やりなども見ることができました。ぱっと見たところ皇帝ペンギンのように見えたのですが、近くの解説板を見ると「kaiser Pinguin(皇帝ペンギン)」と「König Pinguin(キングペンギン)」という二つの種類がいたらしいです。

両ペンギンとも、成長した大人の姿はそっくりなのですが、子供の姿は全く異なっています。皇帝の方はいわゆるペンギンっぽい見た目なのですが、キングの方はまるでキウイのような茶色くてモコモコした体毛に覆われているのです。ちょうどモコモコした子ペンギンがいたため、キングペンギンの存在が確認できました。
ペンギンは昔から好きな動物No1だったはずなのですが、案外何も知らなかったことを思い知らされました。日本でもペンギン博物館などに行ったことがあったはずなのですが、何も学んでいなかったようです。

その後、園内を一通り回ってみることにしたのですが、田舎の動物園とは思えないほど広くて動物の種類も多かったです。虎、ライオン、ヒョウ、ユキヒョウ、象、オオカミなどなど、珍しい動物たちもたくさんいました。特に、虎とライオンは飼育環境も贅沢で見ていて面白かったです。今日は三人で来たのですが、友人の一人が「ヒョウというとパンター戦車を思い出すし、虎と聞くとティーガーが頭に浮かぶ」などとミリオタ臭いことを言っていました。意外なほど身近に仲間がいたようです。本格的に冬になる前にムンスターの戦車博物館に行っておきたいと思っていたので、もしかしたら一緒に行くことになるかもしれません。

動物園を見終わった後は、日本人学生の交流会というイベントが控えていました。どうしてこんなに企画だらけなのかと思うほど毎日何かしら用事が入っています。退屈しないものの、一人で作業する時間ももう少し設けた方が良いような気もします。あと、体力が足りません。人と会って帰ってきてから研究を進めるくらいの体力が欲しいところなのですが、大抵疲れて寝てしまっています。

交流会には、まだ会ったことがなかった日本人学生さんがいらっしゃっていました。田舎の町でありながら、こんなにたくさん日本人がいるとは驚きです。その方は博士課程でWuppertal大学に所属しているそうで、安全工学(Sicherheitstechnik)を専攻されているとのことでした。以前喫煙所で出会った消防署で働いていたという青年が、同じく安全工学の話をしていた記憶があります。この大学はそういった分野で有名だったようです。今更そんなことを知りました。自分一人の視点から見えているものは物事のほんの一部だったようです。人と話していることで新たにわかることが非常に多く、身近なところにもまだ知らないことがたくさんあるのだということを再認識させられました。