(2016年11月14日(月):曇り/雨) 戦没者墓地と水兵叛乱の足跡をたどる
今日は月曜日ですが、先週の授業で研究旅行のために欠席する旨を伝えてきていました。
せっかく来たのに週末だけで帰るのはもったいないと思ったのですが、案の定回りたいところのうち半分くらいしか回ることができていません。
朝は9時前くらいに目が覚め、それから朝食を食べて10時過ぎごろチェックアウトしました。
まずはバスでNordfriedhof(北墓地)へと向かいます。
この墓地は、キール市のwebサイトで戦争記念碑が数多く立地する場として地図付きで紹介されています。
(URL:Marine- und Kriegsgedenkstätten auf dem Nordfriedhof)
ここでもVolkstrauertagの行事が週末に行われていたらしいので、献花された花輪くらいは見ることができるかもしれません。
墓地は相変わらず広くて公園のようなのですが、ここは昨日回った二つの墓地と比較してもっとも体系的に墓地が管理されているような印象を受けました。
区画がきれいに整理されており、また戦没者墓地が多いことから見た目も統一された墓石が多く、きれいにまとまってみえるのです。
▲戦没者の墓
思えば、戦没者墓地というものを訪れることがそもそも初めての経験です。
何だかじーんと来るものがあります。
ここは本当に戦争記念碑だらけで、全て見るだけでも小一時間かかりそうです。
私は写真をとったり碑文を眺めたりしながらのんびり回っていましたので2時間弱ほど使ってしまいました。
以下、ダイジェストで写真をお送りします。
▲第一次大戦の碑
▲U-Boot関連の碑
▲戦艦グナイゼナウの碑
▲戦艦シャルンホルストの碑
▲Hochkreuz
▲献花はここで行われたようです
基本的に海軍関連の碑が多いです。そのため、半分以上が艦艇の名を冠した碑でした。
また、戦没者墓地のZ地区には水兵叛乱で斃れた兵士らの墓もあるそうなのですが、どれがどれやらよくわかりません。
印象的だったのは、ロシア語が刻まれたソ連兵士のための碑が存在したことと、連合国兵士のためだけの墓地が設けられていたことです。
特に、連合国兵士の墓については特別に一区画別の場所が設けられており、完全に特別扱いでした。
これはキールだけではなく各地にあったりするのでしょうか。なんとなくそんな気がしましたが、まだわかりません。調べてみます。
▲施設前面の建物
▲碑文
▲全景
結局ここでお昼過ぎまで過ごしてしまいました。その後は中央駅までいったん戻り、水兵叛乱の記念碑を見に行くことにしました。
まず、ツーリストインフォで資料収集です。各種無料パンフレットを探していたところ、なんと「水兵叛乱の足跡をたどる」という熱い資料がありました。
水兵叛乱の記念碑として、巨大なモニュメントが建てられていることだけはwebで知りえたのですが、そのパンフレットによるとそれ以外にも小さな碑や銘板がキール市内の各地に掲げられており、またかつての海軍バルト海方面駐屯軍本部などの建物の面影なども見ることができるのだそうです。それがマップの上で一本の道筋で繋がっており、水兵たちの足跡をたどることができるというのがこのパンフレットの主旨でした。
この後どれほど時間があるかわかりませんが、このマップに従って見られるだけ見てみることにしました。
▲水兵叛乱の記念碑
▲献花
▲記念の碑文
▲記念碑板
▲解説
▲旧海軍司令部
結局、旧海軍司令部のあたりで暗くなってきたうえに疲れもマックスになってきたため、帰路に就くことを決意しました。
歩いて駅付近まで戻り、ショッピングセンター内のフードコートで色々つまんで空腹を満たしました。
帰りのバスは22時初なのでまだ時間があるのですが、外は既に真っ暗なため何かできることがあるわけでもありません。20時までは色々店を見て回ることもできたのですが、雨も降ってきて嫌気がさしたので駅構内で時間が過ぎるのを待つことにしました。「小銭を恵んでくれ」などと絡まれながらも、なんとか21時過ぎまで耐え忍び、バス乗り場へ向かいました。
バスはおおよそ時間通りにやってきました。
ただ、運転手の機嫌が鬼のように悪かったため雰囲気は最悪でした。
バスの到着に伴って乗客が群がってきたのですが「いいか、一列に並んで乗車券を見せろ。一列だぞ!いいな!」と敬称ではなく親称で投げかけてきます。
バスに乗り込んでからまごついている人がいると「Weiter! Weiter!(止まるな!進め!)」と怒鳴られるという超攻撃的対応。
強制収容所行なのではないかと思わされるほどの迫力でした。
どうも運転手は往路と同じ人だったように思うのですが、まさか毎日同じ人がこの深夜便を回しているのでしょうか。
だとしたらかなりハードな職場です。さすがに運転手は2~3人の交代制のようでしたが、そうはいっても大変でしょう。
ついでに、移動中も険悪でした。停留所に止まった際に降りて一服している人がいたのですが、その人が再乗車するなり「私の許可なくバスを降りることは許さん。次のガソリンスタンドでトイレ休憩を10分取るつもりだったが、君のせいで3分無駄になった。3分失ったんだぞ!休憩は7分にするから承知しておくように。」と非常に厳しい対応でした。日本の長距離バス運転手もこれくらいはっきり物を言うようにすればノイローゼで事故を起こすことも減るのではないでしょうか。などと思わないでもありませんでしたが、乗客からすればどちらも地獄といったところでしょう。
運転手の厳しい時間管理の甲斐あってか、時間通りにバスはデュッセルドルフに到着しました。結構車内でも眠ることができましたので、このまま授業へ向かうことができそうです。