続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年11月13日(日):曇り) Volkstrauertag(国民哀悼の日) Kiel市内墓地巡り

昨晩は23時にはベッドに入っていたため、早めに起きるつもりだったのですが、目が覚めたら既に8時でした。昨日歩き回ったとはいえ体力不足を感じます。

さて、今日はVolkstrauertag(国民哀悼の日)です。毎年11月の第二日曜日?に行われるようなのですが、多少日の変動があるようなので正式な日時はこちら(Schulferien.org - Ferien, Feiertage, Kalender)で調べてみることをお勧めします。

今日はドイツ全土で戦没者の追悼式典などが行われる日なのです。ただし、政府によるものや各種団体による公式イベントがなされる日として存在しているようで、ドイツ国民個々人にとって戦没者を追悼する日とはなっていないようです。先日ドイツ語の先生にお話しを伺った際にはそのようなことを仰っていました。また、それと同時にこの日に活動を行っているのは戦友会のような団体などであり、やや保守勢力によって支援されている日だというお話しも伺っていました。当然、今回キールを訪れたのはそれほど危険ではないと判断したからではあるのですが、実態はいかほどのものなのか興味津々です。

今日の計画は、Kielのイベント情報(Kiel gedenkt der Kriegstoten am Volkstrauertag)にしたがって追悼式典を二つはしごし、その隙間の時間で第一次大戦末の水兵叛乱の記念碑を見に行くというものです。

Volkstrauertagは本日13日の日曜日だけなのですが、どうやら金曜から今日までの週末がまるまる戦没者追悼行事を行う日になっているようです。
キール市のwebsiteでは以下のように金曜から日曜までの追悼式典のイベント一覧が掲載されていました。

----------(キール市webサイトより引用)

Kranzniederlegungen zum Volkstrauertag
Freitag, 11. November

Marine-Ehrenmal Laboe, 15 Uhr
Deutsche Marine, Deutscher Marinebund und Marine-Offiziers-Vereinigung.


Sonnabend, 12. November
U-Boot-Ehrenmal Möltenort, 14 Uhr
Für die auf See gebliebenen U-Bootfahrer und alle Toten der beiden Weltkriege; Verband Deutscher U-Bootfahrer, Stiftung U-Boot-Ehrenmal Möltenort, U-Bootkameradschaft Kiel, Volksbund Deutsche Kriegsgräberfürsorge, Gemeinde Heikendorf.
Nordfriedhof, 15 Uhr
Für die Toten des Ersten und Zweiten Weltkrieges am Hochkreuz;
Volksbund Deutsche Kriegsgräberfürsorge, Bundeswehr, Land Schleswig-Holstein, Landeshauptstadt Kiel.
Ehrenmal Schilksee
„Stille“ Kranzniederlegung für die Toten des Ersten und Zweiten Weltkrieges am Ehrenmal im Dorf Schilksee; Schilkseer Straße.


Sonntag, 13. November

Ehrenmal Meimersdorf, 9.30 Uhr
Ehrenmal Rönne, 9.30 Uhr
Ehrenmal Moorsee, 10 Uhr
Ehrenmal Wellsee, 10 Uhr
Friedhof Eichhof, 10 Uhr
Kranzniederlegungen für die Toten des Ersten und Zweiten Weltkrieges am Ehrenmal sowie für die Bombenopfer des Zweiten Weltkrieges und die Opfer des Nationalsozialismus am Ehrenmal.
Ehrenmal Suchsdorf, 10.30 Uhr (vor dem Gottesdienst)
Für die Gefallenen des Ersten und Zweiten Weltkrieges am Ehrenmal bei der Matthias-Claudius-Kirche; Alte Dorfstraße.
Ehrenmal Holtenau, 11 Uhr (nach dem Gottesdienst)
Für die Gefallenen des Ersten und Zweiten Weltkrieges am Ehrenmal auf dem Friedhof Holtenau.
Friedhof Pries, 11.15 Uhr
Für die Toten des Ersten und Zweiten Weltkrieges am Großen Kreuz.
Friedhof Dietrichsdorf, 11.30 (nach dem Gottesdienst)
Für die Toten des Ersten und Zweiten Weltkrieges am Ehrenmal.
Gedenkstätte „Arbeitserziehungslager Nordmark“, 11.30 Uhr
Rendsburger Landstraße (gegenüber Achterwehrer Straße).
Friedhof Elmschenhagen, ca. 11.30 Uhr
(nach der Andacht zum Volkstrauertag in der Friedhofskapelle)
Für die Toten des Ersten und Zweiten Weltkrieges am Ehrenmal des Volksbundes.
Ehrenmal Mettenhof, 12.30 Uhr
Für die Gefallenen des Ersten und Zweiten Weltkrieges am Ehrenmal Mettenhof.
Ostfriedhof, 15 Uhr
Für die Toten des Ersten und Zweiten Weltkrieges am Ehrenmal.
Friedhof Russee
„Stille“ Kranzniederlegung für die Gefallenen des Ersten und Zweiten Weltkrieges an beiden Ehrenmalen.

----------(引用終わり)

ご覧いただければお分かりの通り、全てを見るのは到底不可能です。また、各行事の会場となっている墓地等の施設はキール市内に点在しており、車などがなければ行き来をするだけでもそれなりの時間をとられてしまいます。さらに、日曜日はバスの本数が減らされているため、バス移動も思うようにはいきません。
そこで、時間・距離などから以下の二つの追悼式典に狙いを定めることに決めました。

1) Friedhof Elmschenhagen ca.11.30 Uhr
→ 「Volksbundの顕彰碑」なるものにも興味があった

2) Ostfriedhof 15 Uhr
→ 遅めの時間に行事が行われるためハシゴしやすい

ホテルで朝食を摂り、出発する頃には10時過ぎになっていました。
最初の目的地であるElmschanhagen地区は中央駅から6kmほどのところらしいです。
できればバスを使いたかったのですが、ちょうどよい時間のものがなかったためDBでElmschanhagen駅まで行ってそこから徒歩で墓地へ向かうことにしました。
ただ、電車の時間もややギリギリで、Elmschenhagenに到着したのは1120時頃でした。

駅から歩いていくと5分も立たずに墓地を見つけることができたのですが、墓地の中が思いのほか広かったため、どこで行事が行われるのか分からず迷子になってしまいました。
既に1130になってしまっていたのですが、何か行事が行われているような気配すらしません。
困ったときは人に聞け、ということで近場にいた人のよさそうな老夫婦に話しかけてみました。

「今日はVolkstrauertagですよね?ここで行事が行われると聞いたのですが何かご存知ありませんか?」
「ああ、確かに今日はVolkstrauertagだね。だけどここでは行事はやらないと思うよ。今朝ラジオでキール市の公式な行事については聞いたけど、それがどこで行われたものだったかは忘れちゃったよ。ごめんね。まぁとにかくここでは何もやらないと思うよ。」

...なんですって!?
早速とんでもない間違いを犯したかもしれません。間違えて別の墓地に来てしまっていたのか...いや、あるいは行事の知名度が低いのかな...などと思い悩みつつトボトボ歩いていたところ、それらしき人の一団に遭遇しました。軍人っぽい制服のおじさんたちと、旗を掲げた人たちがぞろぞろと歩いています。

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▲それらしき人の一団。

ちょうど教会から出てきたところだったので、どうやら教会内で何かしていてそれが終わったところだったようです。
確かに、キールの情報でも「墓地内教会での祈りが終わったのちに行事が行われる」と但し書きがされていました。
様子を見るためについていってみたのですが、結局その団体によって追悼行事が行われました。よかった!間違えてなかった!

行事といっても、Kranzniederlegung(献花)と短いスピーチが行われるだけで、昨日ほど仰々しくはありませんでした。
途中から現れた謎のアジア人がひっそり見学しているのは先方からしたら不気味なことだったかもしれませんが、気にしないことにしてしれっと人の列の中でスピーチを聞いていました。
スピーチは以下のように始まりました。
「我々は今日、ここでかつての戦争で斃れた者たちを悼みます。しかし、悼むだけでは足りないのです!」
もしや、かつての兵士の名誉を讃えよとかそういう文脈に持っていくのか?とドキドキしていたところ、いい意味で期待を裏切られました。
スピーチは途中から録音したのですが、とりあえず覚えている範囲でまとめると大体以下のような感じでした。

・戦争は完全に終わったわけではない。今日を生きる我々は、イラクやシリアに思いを馳せなければならない。
・ドイツ連邦軍の兵士やその他団体のメンバーたちは今日でも外国で命を失っている
・また、かつての戦争についても兵士だけではなく、暴力支配の下で殺された人々にも思いを馳せる必要がある
(障がい者や同性愛者など、"生きる価値なし"とされた人々を含めて)
・外国人に対する恐怖や暴力は今日また問題となっている
・戦争の歴史から学び、かつてのような惨劇を繰り返してはならない

どう感じられますか?私は良いスピーチだと思いました。
現在の問題に結びつけることでかつての戦争の記憶を絶やさないことを強調し、それをもって戦没者追悼の意義とするというこの文脈は、保守派によって作られたものとは考え難いように思います。
てっきり、もう少し強烈に"顕彰"が行われるのではないかと意地の悪い予想をしていたのですが、文句をつけがたいスピーチの内容にあっけにとられてしまいました。
(もしかすると記憶違いもあるかもしれませんが、今日の時点で録音を聞きなおしてまとめなおす気力はないので、訂正があれば後日改めて記事を書きます。)
スピーチが終わると、花輪をVolksbundの碑の前に捧げ、それをもって解散となりました。
一人で余韻に浸りながら立ち尽くしていたところ、ポンと肩を叩かれました。
驚いて振り返ると、先ほどの老夫婦がいるではありませんか。

「君が言っていたように今日はここで行事があったんだね。いや、まったく知らなかったよ。妻の両親の墓がこの墓地にあるから時々ここには来ているんだけど、墓地の端っこの方だからこちら側にはあまり来たことがなかったんだ。こんなセレモニーがあるなんてね。今日は本当に偶然居合わせてしまったよ。期待していたものを見ることができてよかったね。」

わざわざ声をかけていただけて嬉しくなりました。
それにしても、おそらく老夫婦は地元の方だと思うのですが、行事について知られていないということは知名度が低いのかもしれません。
確かに、式典に参加していたのは30人に満たない人数だったように思います。
もっと大規模な式典が行われているものかと思ってたのですが、このままだといつか消えてなくなってしまいそうなほどに小規模でした。

そういえば、スピーチ前のご挨拶で消防署の人たちに感謝を述べていました。
軍人っぽい制服のおじさんたちは、消防署の職員だったようです。まさか消防士があんなにかっこいい制服を着ているとは思いませんでした。

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▲献花が行われたVolksbundのEhrenmal。昨日見たものと同じキール市の花輪と、その隣にはElmschengen地区の名前が刻まれた花輪が置かれています。

いずれにしても、これで一つ目の行事が終了です。少し墓地内を見てから帰ろうと思い、徘徊していたところ黒猫と目が合ってしまい一緒に散歩をすることになりました。

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そういえばドイツで墓地に来たのは前回留学を含めてもこれが初めてです。
墓の形や墓碑銘など、何もかもが物珍しく見えます。

中には、黒十字が刻まれた墓もありました。
戦時下にロシアで亡くなった方らしいので、東部戦線に送られた兵士だったのでしょうか。
お昼過ぎになると、少し人が増えてきてにぎやかになってきました。
これは今日がVolkstrauertagだからなのか、それとも単に日曜日だから墓の管理に来たのかよくわかりません...。

この墓地は公園のようになっており、木が覆い茂っています。
そのため、やや薄暗いものの居心地が良いのです。
ただ、墓の周りは落ち葉だらけになってしまっており、背の低い石板のような墓地はいくつか落ち葉で埋まってしまっていました。
墓地を訪れる方たちはみな熊手のような道具で落ち葉の掃除をしていました。
墓地内には大きな籠のようなゴミ箱があちこちに置いてあり、「腐りうるもの」と「腐らないもの」に分類されています。
どうやら、落ち葉などを集めてここに捨てるようです。それ以外には、墓地に備えたものなどもここに捨てているようでした。

日本では、親世代が立てた墓を子が管理しなくなって朽ち果てつつある墓が増えているという話をドキュメンタリーで見たことがあります。
しかし、墓の管理の面倒さでいったらドイツの方がはるかに上をいっているように思います。
落ち葉掃除だけでも見ていて大変そうでした。

墓地を一回りし終えるころには既に1230時を回ってしまっていました。
そろそろ次のOstfriedhofへ向かおうと思ったのですが、ちょうどよいバスがありません。

ここからは3kmほどの距離があるそうなのですが、バスを待ち続けるのも退屈だし歩いて行ってみるかと思い立ちました。
この辺りは小さな村という感じの風情があり、大きな通りも並木通りのようになっていて気持ちが良いです。
さすがに次の墓地につく頃には景色にも飽きていましたが、14時頃Ostfriedhofにたどり着くことができました。

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▲本日の行事については張り紙がありました。

こちらの墓地もまるで公園のようです。
次の行事は15時からでまだ余裕があったため、先に墓地内を一回りしてみることにしました。
既にさきほどの墓地で見慣れてしまったためか、あまり新鮮味はありませんでした。猫もいなかったし。
ムスリムの墓として一区画特別なエリアがあった点が先ほどの墓地とはことなるところでしょうか。
それ以外は大体似たような雰囲気です。

15時が近づいてきたのですが、ほとんど人の姿が見えません。
今度は教会の行事を見てみたいと思っていたのですが、クリスチャンでもなければ戦没者遺族でもない私が居合わせていいものか少し不安でした。
特に、教会の礼拝などは作法も何も全く知らないので、余所者が入り込む余地があるのかどうかも知りません。
先ほども場違い感を覚えていたので、今回は先に尋ねてみることにしました。
中々教会内に入る勇気が出なかったのですが、教会に入って係の方と思しき方に「私は日本から来た学生で、戦没者遺族でもなんでもないのですがVolkstrauertagに興味があるのでここにいてもいいですか?」と尋ねてみたところ「もちろん!」とのお返事をいただくことができました。
これで胸を張って教会内の祈りに参加できます。よかった!

15時頃になると鐘が鳴らされ、人が集まってきました。といっても、結局20人ほどの規模でしたが...。
オルガンの演奏が始まり、聖職者っぽい恰好のおじさまが入ってきてスピーチを始めました。
教会内では20~30分ほどかけて、スピーチと讃美歌、聖書の引用などについてお話しがありました。
教会の席に讃美歌集が置いてあり、それを手にしながら話を聞くというスタイルでした。

お話の内容は、大筋は先ほどと似たような感じでした。
こちらも覚えている範囲で書いてみようと思います。

戦没者のことを知っている世代がいなくなりつつあるが、この記憶を途絶えさせてはならない
→ 戦争状態は現在も世界に存在しており、暴力が人々を苦しめているから
・悲惨な情勢の中でも、過去の記憶に対して向き合う動きもある
→ メルケルがヴェルダンの戦場で追悼式を行ったり、オバマが広島を訪れたりしている

他にも色々気になるトピックが含まれていたような気がしますが思い出せません。
こちらは全編録音していたのでまた聞き直してからまとめます。

教会内でのお話がすべて終わったら、教会の演壇前に飾られていた花輪をもって外へ行く段取りになっていました。
外にはいつの間にやら音楽隊が待ち構えています。音楽隊といっても、正式なものではなく市民によるグループといった感じでした。
教会前から第一次大戦戦没者の碑があるところまで、太鼓の連打をBGMにして花輪が運ばれていきます。

碑の前に到着後、音楽隊による演奏が改めて始まりました。
曲はもはやおなじみ「Ich hatte einen Kameraden」です。
市民による式典でもこれを演奏するのかと思いましたが、Volkstrauertagを象徴する曲ということですね。
戦没者追悼の文脈には様々な人が含まれているとは思いますが、やはり主役はかつての軍人ということになるのではないでしょうか。
そうであれば、ある種の軍歌といえなくもない「Ich hatte einen Kameraden」が演奏されるのは道理です。
などと思っていたら、Volksbundのページにて紹介されていました。
(Volkstrauertag: Das Lied vom guten Kameraden | Volksbund.de)

演奏の終了後、花輪が記念碑に捧げられ、その後牧師さんによる短いスピーチがなされました。
このスピーチはElmschanhagen墓地で聞いたものとほとんど同じだったように思います。
ともあれ、これで儀式は一通り終了です。

なんだか新鮮な体験でした。教会での祈り自体が私にとっては非日常なのですが、こうした戦没者追悼の儀式もまた新しい体験です。
日本でもこういう儀式に居合わせたことはないような気がします。8月15日に靖国神社を訪れたことはありますが、儀式ではありませんし雰囲気も異なっていました。

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▲式典の様子

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▲献花が行われた第一次大戦の記念碑

時刻は16時前、バスの時間までも遠いですし完全に時間を持て余しました。
Ostfriedhofは小さな集落のようなところにポツンとあり、喫茶店なども近くにはありません。
もう少し歩けば賑わった町があったりしないだろうかと思い、20分ほど歩き回ったのですが何もありませんでした。
諦めてOstfriedhofに帰ってきて、バスでキール中央駅まで帰ってきました。
時刻は既に17時を過ぎており、冬のこの時期はすでに暗くなってしまっています。

もう一つ、水兵叛乱の記念碑を見に行きたかったのですが、どうしたものでしょうか。
立地が中央駅近くらしいので、今行っても薄暗くてよくわからないことは承知で、行くだけ行ってみることにしました。
旧市街を抜けて歩いていくのですが、すでにクリスマスマーケットに向けて準備が始まっているようで、木の小屋が乱立していました。
また、AFDという落書きが3箇所ほどに散見され、なんとなくざわざわしました。

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水兵叛乱の記念碑は無事みつかったのですが、予期していた通り暗くてよく見えませんでした。
ただ、足元に花輪が捧げられており、どうやら最近何らかの儀式が行われたらしいことだけはわかりました。
明日改めて来てみることにします。

その後、晩御飯としてアジアヌードルを駅で購入して持ち帰って食べました。
時間はまだ早いのですが、すでに真っ暗で何もできないので、部屋で今日の写真をまとめたりこの日記を書いたりしていました。
そんなこんなでもう23時です。そろそろ寝て明日に備えます。
明日は22時のバスでキールを出て、Düsseldorfに帰る日です。

先ほどの水兵叛乱記念碑の再訪と、Nordfriedhofという墓地、さらに平和博物館も行っておきたいのですが、全て回れるかどうか怪しいところです。