(2016年11月13日(土):曇り/晴れ) LaboeとMöltenort
さて、ついにやってきました。キールです。卒業研究のテーマとした因縁の地!今回留学中に絶対に来なければならなかった場所でもあります。
キールの早朝は極寒...!前回ここへ来たときは夏でしたので、冬の北ドイツはこれが初めてです。
7時過ぎにバスを降り、キールに到着したのですがとにかく寒い!
7時過ぎなんて早朝でもなんでもないと思われるかもしれませんが、まだ日も登り切っておらず薄暗いため早朝のような雰囲気があるのです。
凍えながら電車の中央駅まで歩き、持ってきたダウンジャケットを着こみました。
それでもなお寒いのですが、気休めにはなります。
▲寒そうな写真を選んでみました。長距離バス乗り場から駅までは3分ほど歩きます。
マクドナルドに駆け込んでコーヒーとビックマックセットを注文しました。
何か食べれば温かくなるかと期待したのですが、やはり寒い!
いっそホテルに早めに行ってしまいたいくらいですが、さすがにこの時間は暴力的なまでのアーリーチェックインだろうと思い、ロッカーに荷物を預けて観光を開始することにしました。
まずはLaboe(ラベー!)へと向かいます。卒論のテーマにした、思い出深い海軍顕彰碑です。
開館は10時ということだったのですが、ちょうどそれくらいの時間にたどり着きました。
前回は夏に訪れたので気持ちの良い場所だと思ったのですが、この季節は霧まで出ていて海も空もどんよりとしており気が滅入ります。
こんなに霧が出ることがあるのかと思うほど真っ白でした。これならドーバー海峡突破やキスカの撤退も成功するかもしれないなどと思っていたところ、徐々に晴れてきてそれまでの空模様が嘘だったかのような快晴になりました。
▲寒々とした海岸風景。手がかじかんでライターを使うことすらできませんでした。
▲この辺りは、Ehrenmal Strand(顕彰碑海岸)と名付けられています。
▲IMBISS ANDENKEN(思い出) 軽食屋の名前までそれっぽく統一されています。
▲ 技術博物館として展示されているU-995。内部は入場料を払えば見学できます。
▲霧の中にそびえたつMarine Ehrenmal。「大地に根を張り、天へと立ち上る炎のような建築物」がコンセプトとのことですが、なんとなくUボートの艦橋のように見えてしまったりします。
▲施設外の”プリンツ・オイゲン広場”には各国から送られた記念碑が展示されています。一番左手にあるのは靖国神社から送られたものです。
今回気になっていたのは、日本人が合祀されているという情報です。
院に入ってから調べていたところ、戦時中の遣独潜水艦関連でドイツに送り込まれ、ドイツのUボートを持ち帰る道中で亡くなってしまった乗田中佐という人物がLaboeで合祀されたらしいのです。
何かそれにまつわる碑板などがないものかと注意してみて回っていたのですが、どうも見当たりませんでした。施設を出てから、チケット売り場の方に聞いてみました。
まずは「あなたもDMB(ドイツ海軍連合会)のメンバーですか?」と尋ねてみたのですが、「DMBで働いているけど会員ではないよ」とのことでした。となると、あまり情報は出てこないかもしれないと思いつつも「この海軍顕彰碑の中でかつての日本海軍士官が顕彰されているという情報を得たのですが、何かそれにまつわるものはないのですか?」と尋ねてみました。
そんな質問をしていたところにちょうど初老の男性がチケット売り場に入ってきました。どうもDMBの方だったらしく、「この人に聞いてごらん」と話題をパスされてしまいました。
改めて質問してみたところ、以下のようなことが分かりました。
Q. 日本人が合祀されているという情報について
A. 確かに合祀されているといえるかもしれない。なぜならここは"一般化された(Allgemein)"海軍軍人たちを追悼・顕彰する場だから。ただ、特定の日本人個人が祀られているという言い方はできないと思う。
Q. 靖国神社の碑があるが、今は靖国神社とつながりはないのか
A. 靖国神社の碑は、ドイツの艦が日本を訪れた際のお土産として3本の銀杏の木が送られたことによって始まった関係についてのもの。そのため、両施設間で共同で何かをしていたというわけではない。
Q. 日本から使節が送られてくることなどはないのか
A. 滅多にない。ハンブルクに海軍学校があり、そこに日本の艦が来ることが時折ある。そうした機会に、ごくたまにこのLaboeに訪れることもある。昨日、この施設でVolkstrauertagのイベントが行われたが、オーストラリアの軍人はここにきた。それ以外にも、外国の海軍関連の人たちが使節として訪れることはあるが、日本はごくまれ。
最後に、そうした情報に関連する書籍や資料が読めるところはないかと尋ねてみたところ、「ならこれを読むといい」と一冊の本を勧めていただきました。どうやら、海軍顕彰碑そのものというよりもDMBの歴史に関する本のようです。前回訪れた際にはなかったような気がしますので、新しい収穫です。
ただ、乗田中佐の件に関しては関連資料を持ってこなかったことが悔やまれます。なんだか話がかみ合っていなかったような印象があったのですが、こちらも何か具体的な情報を提示したわけではなかったので仕方ありません。ここには絶対にまた来ることになるので、その時は資料を印刷して持ってくることにします。あるいは、メール等で問い合わせてみても良いのかもしれません。
今回は午後に別の施設へ行くことになっていたため、早めに見学を切り上げました。
12時過ぎにバスに乗り、Rathaus Heikendorfというバス停まで行きました。
そこから歩いてMöltenortという地区へ向かいます。
道中ケバブ屋で昼食を摂り、その後地図を見ながら目的地へ向かいました。
一度看板を見間違えて迷子になってしまったのですが、何とかたどり着くことができました。
目的地は「U-Boot-Ehrenmal Möltenort」です。
ここは、前回その存在だけは知っていたのですが来ることができませんでした。
今日はここで14時からVolkstrauertagの追悼行事が行われることになっています。
それを見るのが今日のハイライトになる予定でした。
施設の周りには既に人が集まっています。
服装を見るに、海軍軍人っぽい方たちもちらほら見受けられます。
あとは戦没者の遺族関係者なのでしょうか。外見からはよくわかりません。
しかし、高齢の方が多く、施設の広場内に参列者用の椅子が数十脚置かれていたため、それなりの数の関係者が訪れているということなのだと思います。
キール市のwebサイトの情報ですと、ドイツ連邦海軍やVolksbund、行政関連者の他、Uボート戦友会のような組織も当イベントにかかわっているということでした。
となると、当時を知る方々も多少なりともいたのかもしれません。
ここはオープンエアーな施設ですので、外から施設の様子を眺めていても別に問題はなさそうです。
さすがに無関係な人間が行事のただなかに入っていくわけにはいかないでしょうから、もし様子を見ることができなかったらどうしようかと思っていたところでした。
周りには野次馬的な人たちもそれなりに集まっています。
▲ちょうど人が集まりだしたところでした。
行事はほぼ14時ピッタリに、連邦海軍音楽隊の演奏とともに始まりました。
演奏が終わると、挨拶が始まったようなのですが、マイクを通しているのにも関わらずほとんど何をいっているのか聞き取れません。
外であることと、距離が遠いこと、さらに後方にある水路を頻繁にが通過する大型船のエンジン音や汽笛の音で邪魔されてしまうことなどが重なり、演説の類を聞くことはほぼできませんでした。
いっそ図々しく式典のただなかに突入すべきだったかもしれません。せめて見た目が欧州人っぽければ戦没者遺族関係者のような体裁でしれっと紛れ込めたかもしれませんが、どう見てもアジア人の私には無理な芸当です。
▲手前に花輪が置かれているのが見えるでしょうか。これが献花式で捧げられる花です。
そんなわけで、以下視覚的情報から得られた式典の様子です。
まずは式典の流れですが、以下のような次第でした。
音楽演奏
行政関係者挨拶
音楽演奏
軍関係者挨拶
音楽演奏
教会関係者挨拶
音楽演奏
軍関係者挨拶
音楽演奏
献花式
閉めの挨拶
音楽演奏
音楽は儀礼曲のような雰囲気のものが9割で、最後の一曲は「Ich hatte einen Kameraden」でした。
▲この曲です。ここでは歌唱なしの吹奏楽演奏でしたが、動画の通り歌詞もついています。歌詞については後日改めて書きます。
近くにいたおばあさまが、「あら、この曲は有名ね。私も知っているわ。」などと隣のおば様に話していました。
話によれば、Volkstrauertagでは毎年演奏される曲だそうですし、また古くから軍における戦没者追悼のテーマ曲のような扱いだったようなのでそれなりの知名度もあるのでしょう。
また、軍人っぽい服装の方の中には消防署職員も混じっていたそうで、それについてちらっと話がされていたように思います。
ほとんど聞こえなかったので間違いの可能性は存分にありますが。
献花式はドイツ語ではKlanzniederlegungといいます。
海軍顕彰碑関連の資料で頻繁にこの単語が出てきましたが、実際の式典を目にしたのは初めてでした。
軍楽隊のドラムの連打をBGMに、二人一組で花輪を施設の前面まで運んでいきます。
それを所定の位置に取り付けるというのが一連の流れで、この式典では計7つの花輪が捧げられました。
それぞれ送り主(出資主)がことなっており、花輪に取り付けられたリボンの色・模様や銘文が異なっています。
▲献花式の様子 その1。
▲献花式の様子 その2。
儀式そのものは思ったほど厳粛な感じではありませんでした。
この手のイベントは日本でいうところの葬式的なムードが漂っているのではないかと想像していたのですが、周りにいた儀式を見学していた人たちは世間話をしていましたし、犬が喧嘩を始めたりしても係員が黙らせに来るということもありません。上述のように、背後の水路は大型船の往来が激しく落ち着きませんし、時折大きな汽笛の音が鳴り響いて他に何も聞こえなくなったりさえします。
また、途中から式典にやってきたと思しき人が参列者の列の方まで歩いて行って並んで話を聞いていたりさえしました。
これはもしかすると私も突入して良かったのかもしれない、と後になって思いましたが、もはや手遅れでした。
また、軍楽隊の指揮者もホンワカした人だったようで、一度段取りを間違えて演説開始と同時に演奏を始めそうになり、寸でのところで気が付いて立ち位置にもどって肩をすくめたりしていました。
なんだか適当な感じもしてしまいますが、これぐらいの方が人間味があって良いような気もします。
▲軍楽隊の様子。
式典終了後は迅速に人が捌けていき、椅子もその場ですべて片付けられていました。
私はこの施設を訪れること自体が初めてでしたので、花輪をじっくり見てみたり施設内の見学をしたりして一時間ほど過ごしました。
▲捧げられた花輪
右手から...
1. Verband deutscher U-Bootfahrer(ドイツ潜水艦乗組員連盟)
2. Landeshauptstadt Kiel (州都キール)
3. ??? (写真の撮り方をミスして送り主の名前が見えない状態になっていました...)
4. シュレスヴィヒ-ホルシュタイン州首相
5. ハイケンドルフ市
6. 州議会?
7. Volksbund ドイツ戦争墓地管理協会
の計7つです。
▲施設中央の塔。この塔のふもとに献花がなされました。
塔の裏手に階段があり、そこから下に降りることで潜水艦乗組員たちを追悼する碑文が並んだ小さな広場に出ることができます。Laboeの海軍顕彰碑は、様々なものが展示されていてある種の博物館的性格が強い記念碑なのですが、こちらは銘板に囲まれた戦没者墓地のような雰囲気を持っています。
▲施設内の様子。
▲海で亡くなったドイツ潜水艦乗組員たちの名誉ある追悼
特徴的なのは、戦没者の名がアルファベット順や年代順ではなく、潜水艦の艦名ごとにまとめられているところでしょう。
そのため、有名な潜水艦の名前を知っていればその乗組員の名前も簡単に見つけ出すことができます。
▲例えば、ドイツ海軍因縁の地であるスカパフローでロイヤル・オークを沈めたギュンター・プリーン。
あるいは、ニュルンベルク裁判でデーニッツ訴追の一因として持ち出された「ラコニア指令」にまつわるU156。
▲ラコニア号の撃沈と乗員の救助の過程で様々な問題に巻き込まれたハルテンシュタインなど。
あくまでも彼らは潜水艦乗組員というのが死を祀られている理由であり、一個人というよりは潜水艦の一部といった体で戦友たちと名前を連ねているのでしょう。
こういう施設に来たら施設の成り立ち等々について書かれた資料が欲しくなるのですが、売店のようなものは近くにありません。
その代わり、資料を販売している場所と思しき住所が掲示板に張られた資料に掲載されていました。
既に夕刻になってしまいましたし、あとはそこによってホテルに帰ることにしました。
ちょうど帰り道にその場所はありました。
が、何度確認してもその住所は一軒家を指し示しています。
本屋や売店ではないのか?あるいは既に本来あるべき施設はつぶれてしまったのか?あれこれ考えましたが、いずれにしても一軒家の呼び鈴を鳴らす勇気は出ませんでした。
後になって思ったのですが。もしかすると施設の維持管理をしている団体の代表者の家の住所だったのではないでしょうか。
だとしても、いきなり訪れるのにはなかなか抵抗があります。
メールアドレスも記載されていましたので、資料については後日問い合わせてみようと思います。
その後はバスでキール中央駅に直行し、ホテルにチェックインを済ませました。
ホテルで「宿泊期間中キールのバス利用が無料になるチケット」なるものを頂き、本日のバス代が若干無駄だったのではないかというような気分になりました。
部屋に入って腰かけるとどっと疲れが出ました。もはや一歩も外に出たくないとさえ思います。
晩御飯だけは食べたいと思い、中央駅付近のショッピングモールに足を運んでみました。
しかし、もはや何かにこだわる気力もなく、フードコートで焼きそばのようなものを食べてすぐにホテルに帰りました。
ホテルに戻ってシャワーを浴びてぼーっとテレビを見ているうちに寝てしまいました。
深夜帯になると、子供向けチャンネルでBernd das Brotという食パンのキャラクターの10分程度のショートストーリーを延々と繰り返して放送しているのですが、これがやや不気味かつインターネット批判めいた内容で面白いのです。前回渡航時にも旅行先で見た覚えがあったのですが、まだ同じ番組を流していました。ちょっと怖い。
▲おまけということでリンクを貼っておきます。