続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年11月6日(日):曇り/雨) ケルン再び

今日は前半半日はほとんど寝ていて、昼前に起きてからは洗い物や宿題を片付けて終わりました。

午後は14時過ぎから友人たちと集まってケルンへ夕食に行くことになりました。最近そんなのばっかりで遊び呆けているような気がしますが、心から楽しく話せる相手ができたことが嬉しくて自分を甘やかしてしまっています。

今日はポーランドの彼と他の日本人学生と出かけたのですが、やはり彼は抜群に面白い魅力的なキャラをしています。
哲学だけでなく、映画や歴史や思想にも詳しいため話をしていて飽きることがありません。それでいて遊び人なところがあり、人生経験も豊富なようで色々変わった話を聞かせてくれます。話もうまくて賢い人なんだなぁと何だか尊敬してしまいます。会えば会うほど彼のキャラクターが好きになっていきます。表面上は非常に社交的で明るいのですが、内面は案外ペシミストな側面もあるのだそうで根っこは非常に真面目です。

ケルンでは喫茶店でアプフェルシュトゥルーデルを食べ、その後ビアハウスを二軒はしごするという暴飲暴食ツアーでしたが、飲み食いよりも話をするのが楽しくて完全に時間を忘れていました。

ポーランドの彼は日本のナショナリズムに興味津々なのですが、左向きな話題を振ってみたところ音楽の話題になりました。「インターナショナル」から始まり、「ワルシャワ労働歌」や「Bella Chao」などの音楽トークが捗りました。彼は酔うとよくBella Chaoやソ連国家を歌うのだそうです。さすが。
ポーランドは戦時下にドイツとソ連に挟まれて悲劇的な歴史をたどっていますが、どちらかというとドイツに対する反感の方が強い傾向にあるそうです。彼の世代ではほとんどそんな感情もなくなっているそうなのですが、彼の父の世代だとまだまだ感情的諍いが残っていたのだと話してくれました。「もし僕がドイツ人のガールフレンドを作ったら父は変な顔をするだろうね」などと言っていたほどです。また、冗談だと断りながらも「たぶんそれは日本人が中国人や韓国人と付き合っているようなものだろうね」などとも言っていました。
ソ連ポーランドの関係も強制された友好関係といったものだったはずですが、それでもまだドイツに対する感情よりはマシなのだそうです。カチンの森よりも絶滅収容所の立地にされていたことの方が強烈な記憶なのかもしれません。
オフィシエンチムの話題になった際はこんなことを言っていました。
アウシュビッツポーランドのものじゃないし、大抵の観光客がそこだけを見るためにポーランドにやってくるのが残念でならない!ポーランドにはきれいな街だってあるし、そこを訪れる時間があれば現地で色々な人と出会って友人を作ることもできるだろうに!アウシュビッツしか見に行っていないのにポーランドを訪れたと言われてしまうのは不本意だ!」
なるほど、確かにそうかもしれません。私はまだアウシュビッツを見に行ったことがないので行ってみたい気持ちはあるのですが、彼のいうことも尤もです。私が興味を持っているのはドイツの負の歴史の一部であって、ポーランドの歴史や社会・文化に対する興味や理解はほとんどありません。そういう自分がアウシュビッツだけを見るためにポーランドに行くというのは、ポーランド人に対して失礼というものなのかもしれません。そういう考え方をしたことがなかったのでちょっと反省です。
他にも、ドイツで何かやりたいのだったらこちらで博士課程に進むことを考えてみた方がいいとかDAADで外国人向けのプログラムを見てみた方がいいとか、いろいろと助言をしてもらうことができました。留学終了後どうするのかということについては具体的なプランがないため、そろそろ真剣に考えなければならないのですが、こうして色々な人と話していると日本にいたときより考え方の幅が広がってしまいます。選択肢を絞らなければならないはずが却ってよく分からなくなってしまう一面もあります。

食事後は、9時過ぎにケルンを出て10時半頃にはヴッパタールへ帰ってきました。
最近充実していて楽しいのですが、なんだか罪悪感も覚えます。