続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年11月5日(土):曇り) エッセン旅行

今日は初めてEssenという町へ行きました。

エッセンは世界遺産になっている炭鉱遺跡Zollvereinという施設があることで有名らしいのですが、これまで訪れたことはありませんでした。
今回の目的は、その世界遺産の見学と買い物です。今まで一緒に出掛けたことのなかった友人と来ていたのですが、その人お勧めの店がエッセンにあるということだったのです。

9時過ぎの電車に乗る予定だったのですが、WuppertalとWuppertal-Vorwinkelの間の区間で何かあったらしく、DBの便がストップしてしまっていました。
そのため、SchwebebahnでVorwinkelまで行き、そこからエッセンへ向かうことにしました。
若干当初の予定より遅れましたが、11時前にはエッセン中央駅に到着し、そこから路面電車に乗り換えて炭鉱へたどり着くことができました。

炭鉱遺跡は一つの公園のような広々した空間になっており、その中に各種施設・遺跡が点在しています。
主要な施設となっているのは、敷地のほぼ中央にある博物館でした。
そこにインフォメーションやロッカールーム、ミュージアムショップなどがあるため、ここを活動の拠点としてあちこち見ることになりました。

博物館内はいくつかの階層に分かれており、炭鉱近辺の自然環境、ルール地方の産業について、あるいは炭鉱の歴史についてなどといったテーマが各階層に割り当てられているようでした。
最も興味深かったのは歴史コーナーです。
第一次・第二次大戦中は軍需産業の中心地として戦争に貢献していたため、それ関連の展示がいくつかありました。
特に、第二次大戦中は産業的に重要な地域ということでルール地方は攻撃を受けており、それによる被害の歴史がある一方で、ナチスに迫害されていたシンティ・ロマといった人々に強制労働をさせていたという加害の歴史もあるということでした。クルップ社とのかかわりも深く、結構ナチ体制に対して積極的に貢献していたようです。
私のテーマである記念碑や顕彰碑はありませんでしたが、それでも興味深い展示でした。

ドイツの博物館に行くと、ジャンルを問わず、ほぼ必ずといっていいほど戦争あるいは第三帝国時代との関連について触れられています。地域史と絡めて紹介されていることが多いのですが、このような態度も「過去の克服」の故に成せる業なのでしょうか。あるいは単にドイツ人の気質として歴史を網羅しないと気が済まないのか、私にはよくわかりませんが、見に行く側としてはこういった在り方というのは非常に興味深く、またありがたいものです。

ところで、今回同行を許してくれた友人は日本人だったのですが「ナチという言葉を使ってしまうと現地人にも何を話しているのかなんとなく分かってしまうだろうからあまりその単語を使いたくない」というようなことを言っていました。そのため、今日一日はそれ関連の話題に関しては「国家社会主義ドイツ労働者党」で通そう!ということにしました。おそらくこれまでで最も多く国家社会主義ドイツ労働者党という単語を発した一日だったと思います。

さて、博物館の外には各種遺跡群と思しきものがあったのですが、工業技術関連に疎い私は一体これが何に使われていたのか想像することすらできませんでした。


流し見ではありましたが、一通り見学を終えるのに2~3時間かかりました。
14時前に施設を出て、Gelsenkirchenという商店街がある地区に向かいました。
Curry Wurstを昼食としてぶらぶら歩いていたところ、既にクリスマスマーケットと思しき施設がいくつか出ていました。
クレープ屋でNutellaクレープを食べたのですが、これが今回初Nutellaでした。ただのチョコクリームと言われてしまえばそれまでですが、このこってり感が結構好きです。

商店街を進んでいくとPrimarkという安い服屋がありました。
これはデュッセルドルフにもあるのですが、こちらの方が大きいらしく、その友人一押しのお店なのです。
私は今回荷物を減らすために上着をあまり持ってきておらず、ここでコートを購入することにしました。
それでも50ユーロ未満の金額でしたので、やはり噂に違わぬ安さです。

17時過ぎにエッセンを出て、Wuppertalに帰ってきました。
Pennyで買い物をして、ご飯を食べたあと寝てしまい、目が覚めたら4時前でした。
改めて寝るか、このまま活動開始するか悩みながら日記を書いていて現在6時過ぎです。