続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年10月31日(月):晴れ) 謎の出会い

今日はドイツ語の授業から一日が始まりました。

授業内容は大体以下のような感じです。

- 受動態の復習
- 特定の前置詞と結びつく動詞の確認
-- 前置詞を用いた疑問文
・物事について質問する場合:wo(r) + 前置詞 (z.B. worum? / worauf?)
・人物について質問する場合:前置詞 + wem / wen (z.B. um wen? / auf wem?)

授業後は例によって、文献読み解きを進めました。
こちらに来てから読み始めてたドイツ海軍史の本がまだ終わっていないのです。
この本については、ドイツ語の勉強材料もかねてなるべく精読するようにしようと思い立ってしまったがために、結構な時間を割いてしまっています。
一方でコブレンツ関係の資料はさらさらと読み飛ばし気味ですので、やや読書に対するエネルギーの割き方が海軍優遇になっています。
ようやく第一次大戦が終わってヴァイマル共和国時代がやってきたところです。
相変わらずドイツ海軍の呼称の変化がよく分からないのですが、ヴァイマル期の海軍はReichsmarineというのですね。
共和国なのにReichとは一体...と疑問に思ったのですが、今読んでいる本にはそれについて特に解説はされていませんでした。
ただ、ヴァイマル期の海軍はトップにいた数人がカップ一揆のような右寄りな活動に加担していたために、人心を得ることができなかったそうです。どちらかというと民衆からの信用を失った存在という性格が強いようです。ヴィルヘルムスハーフェンとキールにおける水兵の叛乱によって帝政を終わらせた主体であったはずなのに寂しい扱いになったものですね。
だとすると、そんな海軍トップの伝統重視な考え方が反映されてReichなどといわれているのか,..などと邪推しましたが、何だかしっくりきません。
別の本も読んでみた方がよさそうですね。

さて、16時過ぎまで作業をして、その後は妙な会合に参加してきました。
というのも、日本人の友人がスーパーで買い物をしていた際に日本で働いていたことがあるというおじい様と出会ったそうで、今日はその人と会う予定があるから一緒に来ないか?と誘われていたのです。
面白い出会いがあるものだなぁ、と興味本位でついていったのですが、非常に面白い話を聞くことができました。
ヒッチハイクで世界中を回っていたとか、アメリカでVISAなし労働をしていて国外退去を命じられた末に流れ着いた先の日本の出版社で働いていたとか、とにかく現代っ子からしたら大冒険としかいえないような体験談でした。
今度ホームパーティに招いてくださったので、またじっくりお話しする機会がありそうです。

その後は、おじさまと引き合わせてくれた友人の発案でソーセージ食べ比べパーティをすることになりました。スーパーで食材を買い集めてホームパーティというわけです。友人の部屋を借りてパーティをさせていただいたのですが、おかげさまで楽しく時間を過ごすことができました。

ただ、正直なところソーセージはどうでもよかったのです。。
今日嬉しかったのは、このパーティに先日知り合ったトルコ人の友人が来てくれていたことです。
毎回「トルコの彼」などと書くのも億劫なので、イニシャルをとってM君としましょう。
そのM君とはまた話してみたかったので、ちょうどいい機会になりました。
彼は結構なヘビースモーカーで、パーティの最中も度々バルコニーに行って一緒にタバコを吸っていたのですが、そこでは部屋でワイワイしている時にはできないような話ができました。

トルコでの暮らしはどうなのかとか、自分が日本にいる時どうだったとか、そんな話をしていたのですが、個人的に興味があったことを聞いてみました。
この間(といっても結構前の話でしょうか)、トルコでクーデターがありましたが、あれについて私はよく分かっていなかったのです。
というのも、クーデターというと「独裁的な政治指導者を打ち倒すための軍による決起」というイメージが私の中では強いのです。
当然そんな単純な図式ばかりではないのですが、それにしても、トルコのクーデターののちに民衆が軍の側につかずにエルドアン大統領サイドにべったりくっついているような動きを見せたのが私にとっては不思議に思えました。しかも、半ば大統領が市民を肉の壁として動員するかのような形で路上に出て抗議することを促していたことに対し、素直に人々が従っていたような印象があったので、一体どういう構造なのだろうかとまるで理解もできなければ想像もできませんでした。もちろん、私はトルコの政治状況については全く詳しくありませんので、多少なりとも学識のある方からすればすんなりと理解できる状況なのかもしれませんけれども。

ともかく、そんな事情があったので彼に聞いてみたのです。
トルコのクーデターがあったけど、あれについて君の見解はどうなの?と。
すると、彼はどちらにも同情できないというような意見のようでした。
トルコにはナントカというテログループのようなものがあるらしく、それが軍の側に近い勢力となっている...らしいです。
一方で、エルドアン大統領は強大な権力を持っており、いわゆる独裁的な体制を作り出しているということです。
したがって、どちらかが市民の立場を代表しているというわけではないようで、どっちもどっち...というような状況だ...というのが彼の説明を受けた私の理解です。

実は、以前同じ質問をタンデムで出会ったトルコの友人にしてみたことがありました。
彼の答えは以下のような感じです。

エルドアンが独裁者だという風に言われているけど、あれはメディアがそう言い立てているだけだ。そんなに単純な存在ではないし、軍隊がやろうとしたことを思えばエルドアンははるかに民主的だし、民主主義体制を擁護しているんだ。だから市民がエルドアンの側につくのは極めて自然なことで、むしろ軍の蜂起がある種の異常事態だったんだ。マスメディアが喧伝するシンプルな図式に騙されちゃ駄目だよ。」

ところが、こんなことを言っているトルコの友人がいたとM君に伝えたところ、彼は「いや、それはおかしい。エルドアンは民主主義とは明らかに真逆の立場の人間だよ。」と驚いたように話していました。
政治的立場はどの国でも色々あって当然なのですが、私はM君の話の方が説得力があるように感じました。
というのも、「マスメディアは嘘」という根拠で話を進めていくスタイルはどことなく日本のネット右翼的な論法に似たものを感じるからです。
別に私はマスメディアが常に正しいなどと主張する気はありませんが、だからと言って「マスメディア」という括りで新聞もテレビも何もかもを敵視してネットで得た情報を鵜呑みにするようなやり方はどうかと思います。

上でも述べましたが、私はトルコの政治状況に疎い人間です。
ですから、こうして二人のトルコ人から真逆の世界観を提示された際に、どちらがより冷静な分析をしているのか、あるいはどういった歴史観・背景からそういった考え方をしているのかといったことは推測することすら困難です。

ただ、私はMさんがその後に話していたことに対して共感できたために、大した判断材料を持ち合わせていないにも関わらず彼の話に対する信頼感を覚えたのです。
Mさんはトルコの状況には未来がないように感じているということでした。
そのため、ドイツで学業を修めたのちはドイツに住み続けたいとのことです。
兄弟や家族もこちらに連れてきたいと考えているそうで、御両親も彼のその考えを受け入れているということでした。
上述の事情もあって、トルコは民主主義体制にないと彼は捉えています。
また、シリアとの間の問題も複雑で、国家単位の隣人関係が荒んだものとなりつつあることも懸念しているようでした。
ただ、このことに関する彼の見解は「国境や国家なんていう考え方自体が今となっては問題で、もうみんな一つの国でいいじゃないか。ここでの生活を考えてごらんよ。ドイツ人は確かに多いかもしれないが、世界各国から人が集まって、みんなで生活できているじゃないか。どうして民族や出身地や宗教を気にしなければいけないんだ?」というようなもので、別にトルコ一国の安全がどうこうという話ではないようです。
彼曰く、「トルコとシリアの問題も今は取り沙汰されているけど、かつては文化的にも混ざり合った善き隣人だった。なのに、アメリカがフセイン打倒を掲げて以降次々に中東に手を出し始めて、それからISISが生まれて事が複雑になったんだ。イラク、イラン、シリア...次はトルコの番だとしてもおかしくはないだろう?」というのです。

大それた話なのかもしれませんが、確かに国家という単位で物事を区切って考えることができる時代は終わりつつあるのかもしれません。
経済的な点においても、人的移動においても、既にグローバル化は散々言われてきていることですが、それでも国家間の対立は絶えません。
いっそ国家なんてなければいいという考え方は過激に聞こえますが、納得できる部分もあります。
こちらに来てから多国籍な人たちと話している間に、案外国籍などというものは関係ないのだということに思い至ることもありました。

というような話をあれこれできたのが今日の収穫でした。
色々面白いことを考えている人がいますね。