続・Wuppertal留学日記

2016年10月から2017年3月頃まで、再度留学する機会に恵まれました。前回に引き続き、大学の様子や体験などを書き残していこうと思います。

(2016年10月18日(火):晴れ) コブレンツ ドイツ連邦陸軍顕彰碑

ほぼ10時ごろ起床。昨日は2時くらいまで起きていたので8時間くらいは寝ることができました。最近起きる時間が遅くなりつつあってよろしくないのですが、昨日は疲れ果てていたのでじっくり眠ることができてすっきりしました。

ただ、出かけようと思っていたのでちょっと出遅れる形となってしまいました。
今日はコブレンツに出かける予定だったのです。こちらに来てからまだ一度も遠出をしておらず、研究対象としている施設も訪れられていなかったので比較的近場の目的地から潰していく魂胆です。
セメスターチケット入手が遅れたりしたという都合はあったにせよ、そろそろ本格的に動き出さねば!という意気込みを込めて、日帰りコブレンツ。

今回の目的は以下の二つです。
1. ドイツ陸軍の顕彰碑を見に行く
2. ドイツ連邦軍の軍事技術博物館併設の軍事関連書籍専門店で上記念碑関連の書籍を探す

11時の電車に乗って13時に到着する予定だったのですが、12時の電車になってしまいました。
しかも、乗り換え予定だった電車が技術的トラブルで40分遅れるというトラブルに見舞われ、慌てて別の電車を探さねばならなくなってしまうという二重苦。
結局、自分の責任で一時間、DBのトラブルで一時間ずつ当初の予定から遅れ、現地に着いたらすでに15時。
なんということか。

これは目的のうちどちらか一つしか果たすことができなさそうです。私の中での優先度は1の方が高かったので、とにかくそちらへ向かうことにしました。
コブレンツは、ライン川モーゼル川が合流する地点「ドイッチェスエック」が観光地として有名な街なのですが、そのドイッチェスエックから見渡せる丘の上に要塞があります。

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▲ドイッチェスエックから見た要塞の図


要塞の中に陸軍顕彰碑があるということだったので、バスで丘のふもとまで向かいました。
要塞とドイッチェスエックはロープウェイで繋がっているので、バスを使わなかったとしてもアクセスは簡単です。
ただ私はできれば自分の足で丘を登ってみたかったので、往路はバスにしたのです。

要塞のふもとから細い階段の道で上まで登ることができたのですが、結構ハードでした。
要塞の門をくぐると大きな石が立っており、そこにも陸軍兵士の名誉をたたえるような碑文が刻まれています。

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▲碑文の他、ピエタめいたモチーフのレリーフもありました。ノイエ・ヴァッヘを思い出します。

汗ばみながら、施設入り口でチケットを購入し、要塞の中へ入っていくと思いのほか内部は小奇麗で、様々な施設がそろっていました。

各種博物館にカフェ、ミュージアムショップなどがそろっており、史跡というような風情はありませんが、まぁ居心地はいいです。

目的の顕彰碑は、ちょうど要塞の中央あたりに位置していました。
途中で連邦軍軍人の姿も見かけました。

顕彰碑は特別に隔てられた区画にあるものと想像していたのですが、一般観光コースの脇にポツンと存在していました。
要塞の壁面をくりぬいたような形の空間に、倒れた兵士を模したの銅像が寝かされています。

 

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▲やや離れたところから写した陸軍顕彰碑。要塞の壁と一体化している。

 

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▲要塞壁面をくり抜いたような形の窪みには斃れた兵士の像が寝かされている。

碑文には「Den Toten des Deutschen Heeres(ドイツ陸軍の死者たちに)」とある。

 

ここでは正式な式典等も行われているということですので、名実ともにドイツ連邦軍陸軍の公式な顕彰碑なのですが、正直な感想としてはただの観光地の一部と化している印象でした。
もっと厳粛さが漂う緊張感のある雰囲気を想像していたのですが、そんなことはありませんでした。もちろん、式典が行われる際は事情は異なってくると思いますが。

 

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▲正面から見た図。顕彰碑本体脇(右手側)に立っている小さな石にも碑文が刻まれている。

 

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▲本体脇の碑文は「Den Heeressoldaten der Bundeswehr, die für Frieden,Recht und Freiheit ihr Leben liessen(平和、正義と自由のために命を捧げた、連邦軍陸軍兵士たちに)」。

 

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▲また、少し離れたところにこの顕彰碑の解説もありました。

「ドイツ陸軍の顕彰碑」

「この記念碑は、1914年-1918年および1939年-1945年の二つの大戦の戦死者を記憶するために、連邦軍の戦友たち、遺族たち、また連邦軍兵士らによって建立された。陸軍兵士だけでも、第一次大戦で200万人、第二次大戦で350万人がドイツのために命を捧げた。彼らの犠牲、彼らの勇気、それに彼らの苦しみは忘れ去られてはならない。この警告碑は、1972年10月29日に儀式によって聖別され、新たなドイツ陸軍の手にその管理は委ねられた。」ということだそうです。

 

ドイツ語には記念碑を意味する単語が複数存在します。それぞれ別の単語が語源となって構成されているため、ニュアンスが異なっています。

Denkmal:「denken (考える)」 → "記念碑"

Ehrenmal:「ehren (敬意を払う)」 → "顕彰碑"

Mahnmal:「mahnen (警告する)」 → "警告碑"

上述した三つの単語は、辞書を見ると全て記念碑と訳されていることもありますが、私はニュアンスを呼び分けたいので矢印の右側の単語で呼び分けています。

そして今回の碑文で初めて見た単語がこれ。

「Mal」です。

Malだけでも記念碑という意味があるのですね。初めて知りました。

いや、初めてというと不正確です。正確にはmalというのは非常に頻繁に使われる単語なのです。例えばお店で何かを注文する際に、「einmal bitte」といえば「一つください」という意味になります。また、特定の行動を促す際に使えば「guck mal」すなわち「見てごらん」というような意味にもなります。しかし、Mal単品で名詞として意味を成すというのは恥ずかしながら知りませんでした。

そういえば、denkmalという単語についても、上で紹介したような使い方を含めて、「記念碑という意味があるが、同時に「考えてごらん」というようなニュアンスを含んでいるのだ」とする解釈をどこかで読んだことがあります。確か戦争記念碑関連の本だったと思うのですが、どこで読んだのだったかしら。

さて、上の解説の碑文ですが、MalとEhrenmalさらにMahnmalも用いられております。こんなに短い碑文の中で何度も呼称を変えなくても良いような気もしますが、なぜこのようなことになっているのでしょうか。

このあたりの事情はキールの海軍顕彰碑にも通ずる部分があります。Ehrenmalでありながら、最終的にMahnmalという単語で存在意義を示すロジックは両者に共通しているのです。

つまり、顕彰碑というのが施設の本質的な性格ではあるものの、それは同時に将来の平和や自由などのために警告的にメッセージを発しているのだというのです。まだ空軍の記念碑を見ていませんが、どうもこのロジックは現在のドイツで軍人追悼をする際の決まり文句になっているような気がします。

ちょっと意地悪な見方かもしれませんが、これは高橋哲哉氏がいうところの「犠牲の論理」の亜種・応用編なのではないでしょうか。かつての戦争で斃れた兵士たちのおかげで今日の平和があるのだというロジックで、戦没将兵と現代をつなげて顕彰を行うというものです。高橋哲哉氏は、「本来ならば、あれだけの犠牲があったのにもかかわらず今日の平和があるというべきなのではないか」と批判していたように記憶しています。

この陸軍記念碑の巧妙なところは、解説の碑文で両大戦の戦没将兵の追悼・記憶を、顕彰碑本体脇の碑文で戦後のドイツ連邦軍の兵士の顕彰をそれぞれ謳うことで、追悼および顕彰対象のささやかな棲み分けを図っているところにあるのではないでしょうか。しかし、これらの碑文に目を通したうえで改めて顕彰碑本体の碑文「Den Toten des Deutschen Heeres」を読むと、ここでいうところの「ドイツ陸軍の死者」というのが両者を同時に指しているように思えてしまいます。なんとなくそれが狙いのような気もします。連邦軍兵士も、国防軍兵士も、あるいはヴィルヘルム二世時代のドイツ帝国陸軍兵士も皆まとめて顕彰しておきたいという意図があるのではないでしょうか。さすがに直接的に国防軍兵士の顕彰などとは言い難いがために解説碑文があるのでは?

 まだこの施設に関する史資料を読んでいないので決め付けるような物言いは不適切ですが、現地を訪れて碑文を読んでみた印象としてはそんなことを思いました。

 

最初に述べた事情もあってあまりじっくり見学できなかったのですが、要塞の中で他に面白いと思ったのは音楽が流れていた通路です。
要塞の中は城壁が入り組んで立ち並んでいるのですが、その壁面に向けてスピーカーが設置されていて音が気持ちよく響き渡っているのです。
最初はどこに音源があるのか分からなかったくらいです。

流されていた曲は「フリードリヒ大王の近衛兵」でした。

www.youtube.com

▲これです。

それ以外にも兵士の行進や馬の足音などが断続的に流されていて、まるで兵士の亡霊が元気に動き回っているかのような雰囲気さえ醸し出しています。

出口にあるミュージアムショップで陸軍顕彰碑関連の資料を手に入れようと思っていたのですが、店員さんに尋ねてみたところ「以前置いていたような気がするんだけど今見てみたらもうなかったよ。残念ながら在庫もないんだよね。」とのことで、非常に残念な思いをしました。
代わりになるかどうかわかりませんが、要塞全体の資料を購入しました。こちらにも若干ではありますが、陸軍顕彰碑に触れられていましたので、また読んでみます。
いっそ軍事技術博物館の本屋に行った方が良い資料が手に入ったかもしれません。今日はどちらにしろ無理ですが、また改めてそちらに行くことにします。

帰りも歩いていくつもりだったのですが、出口付近にロープウェイ乗り場があるという配置の妙にやられてチケットを買ってしまいました。
ドイッチェスエックの真横に出ることができたので、ついでにそちらも眺めつつ旧市街を通って駅まで戻りました。

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▲ドイッチェスエック。右手側に流れるのがライン、左手側に流れるのがモーゼル...だったような気がします。川の合流地点をよく見ると、若干水の色が違ったりして面白いのですが、その写真は撮っていないのでまた今度。

 

旧市街の本屋も立ち寄ってみたのですが、コブレンツの町の歴史に関する本は見られるものの陸軍にフィーチャーしたものは見当たりませんでした。
次回訪問時にもう一度じっくり探してみたいと思います。